自分が救われるために書くnote

個人的な話をします。読んだら悲しむ人がいるから、匿名で書きます。現在アラサー、女性、地方出身、大学進学を機に上京、世間的には高学歴でバリキャリです。

「私が死んでも、あいつらはさほどダメージを受けなさそうだから、死んだら負けだ」と思って、歯を食いしばって生き残ってきた経験はありますか。心から人を殺したいと思って、「あんなやつらのために自分の人生を棒に振ることはない」と思い直して、歯を食いしばって行動を制御してきた経験はありますか。

10代前半、私は何度も考えました。そして、私は私に価値を認めていないのに、「私の命」や「私の人生」を何かしら有効に使いたいと思っていることに気づいて笑いました。

母親は私を殴り、人格を否定し、嘲笑い、ダブルバインドをかけ、父親は私に優しかったけど、いてほしいときにいつもそばにいませんでした。兄は母と同じように私を殴りました。

私が幼稚園のとき、母が体調を崩して寝込んでいたので、冷凍庫から氷枕を持って行きました。すると母は「そんな冷たいの持ってきて、ママを殺す気なの!?」と言いました。

私が小学生のとき、母が居間のテーブルにおいたクッキーを私は一箱食べてしまいました。母は怒り、二階の階段の降り口で、私の首を掴んで階段から突き落とす格好をし、「お前の命は私が握っているんだ」と言いました。

私が中学生のとき、私はいじめられていました。クラスメイトには無視され続け、声を出せなくなりました。ゴキブリと呼ばれ、消しゴムを投げられ、私に当たった消しゴムは汚染されているから嫌だと捨てられました。家族には死んでもバレたくなかったからずっと隠してたのに、担任の先生が母に電話をして話してしまいました。母は笑い、ことあるごとに「そんなんだから友達いなくなるんだよ」と言いました。

中学二年のとき、私は初めて母を殴り返しました。母の方が強くて、すぐにマウントポジションを取られてぼこぼこにされましたが、それ以来母に殴られなくなりました。当時ネットで流行っていた「100の質問バトン」で「親を殴ったことはあるか」という質問に「一度だけ」と書いたら、匿名でネット上で仲良くしていた人に「どんな理由があれ子供が親を殴るなんて言語道断だ」と叱られました。この世にはどうしても分かり合えない断絶があるのだと知りました。

高校に入ると私は落ち着きました。私立の特進クラスだったこともあり、穏やかな友人に恵まれました。そして、現役で東大に入りました。母は、「勉強ができたって人間性がこれじゃなんの意味もないんだよ」と言いながら、私の受験に時間もお金も投資してくれて、合格したときは本当に嬉しそうでした。

大学に入って一人暮らしを始めてすぐに調子を崩しました。早く実家を出たい、その日まで死なないって思いながら生きてきたのに、いざ1人になると寂しくて仕方がない。何でもない用事を見つけてよく母に電話していました。

やがて彼氏ができて、調子が戻りました。彼はモラルハラスメントをする人でした。私は自分がけなされ、否定され、操作されることに、悲しみとともに安心感を覚えていました。彼の隣にいるとすごく懐かしい感じがしました。ただ私が決定的に調子を崩し、家から出られなくなると、彼は私のために家まで来ようとはしなかったので、そのまま別れました。

そこから何とか回復して、学部3年生のときに一度就活もしました。しかしESで落ち続けました。それはそうです。今まで「自分のやりたいこと」など存在すら抹消していたのに、いきなりそれを考える必要が出たわけで、相手に伝わる答えが出せるはずがないです。

それもあり院進しました。研究者になりたいと思ったのも本当ですが、消去法だったのも本当です。で、院進して、耐えられずに修士号も取れずに中退しました。何が耐えられなかったのか、色々あるんですが、多分一番は文系で院進学して生きていけるのは「愛されて育った中流以上の家庭の子たち(実家は都内か横浜)」なので、そういう人たちがそこそこいて、彼らを見ながら生活することが耐えられなかったです。彼らには彼らの地獄があったかもしれませんが。

院では学費免除で奨学金をもらいつつ、バイトもして生活していました。バイトはミニスーパーの店員でした。塾講師も一瞬やったし、時給がめちゃくちゃよかったんですが、良くも悪くも強く期待されている受験生の姿を見るのがつらかったので続けられませんでした。

バイトの経験は私の転機となりました。仕事をこなすことが楽しかったし、ありがたいことに評価されて頼りにもされました。辞めるときにはちょっとしたプレゼントをくれる人が何人もいました。初めて自分が誰かに受け入れられたと思いました。

そこから就職して今に至りますが、仕事があるおかげでいい状態の自分を保てたと思います。すると他の人とも交流しにいけるようになりました。そしたら外の世界は何だか楽しいことがたくさんありました。今でも家が好きだし人といると疲れちゃうけど、死にたいと思うことはほぼなくなりました。

多分仕事に依存してるのですが、何かに依存しないと生きていけないなら、薬とか犯罪とかではない安全なものに依存してるし、暫定的にいい状態ではないかと思います。

以上が私のこれまでです。上で書いたのは、私が覚えているものだけなのでごく一部です。私は中学までの記憶があんまりありません。ふとしたときに母が言った私の人格や生存を否定する言葉が脳裏に浮かぶことはあります。

今は実家とは必要最低限しか交流しません。義理ごともぎりぎりスルーしていいものはスルーします。考えないようにしてます。

そんな母ですが、今も昔も私のことを愛しています。心底愛しています。だからこんなnoteを見たら悲しむし、自分を責めると思います。私は母が悲しむのを見るのは悲しいです。私も母のことを愛しています。この感覚も、分かる人には分かるし、分からない人には分からないかもしれません。

母本人に愛してると伝えたらきっとまた私は傷つくことになるのでnoteを書きました。

お母さん、大好きだよ。大好きなんだよ。一度でいいから、直接言って、抱き合ってみたかったと思うよ。立派になったでしょ? 100点には程遠いかもしれないけど、私ちゃんと生きてるよ。だから安心して、自分を認めてあげて。あなたが死ぬまで、多分私は面と向かって言うことはないだろうけど、大好きだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?