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〝靖国〟なるものがはらんでいる問題を、遺骨もまた私たちに語っている──栗原俊雄『遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史』

「東京大空襲の被害者は二〇〇五年、墨田区議会にある陳情を行った。「東京大空襲犠牲者仮埋葬地への表示板陳情」。「戦後六〇年の節目に当たり、区内九箇所の仮埋葬地にその事実を後世に知らせるための表示板を設置してください」というものだ。「空襲体験者の高齢化により、人口の七割余りの人々は戦争を知らない人たちとなり、東京大空襲の記憶を歴史にとどめる努力が求められて」いる、ことが理由である」

けれどこの陳情は取り上げられることはありませんでした。

一晩で10万人以上の死者が出た東京大空襲のご遺体はどこにあるのでしょう。「戦時中、東京都の火葬場の処理能力は一日五〇〇体でしかなかった」のです。
「犠牲者の一部は、遺族によって火葬された。上野公園の入り口にある西郷隆盛の銅像のそばに、臨時の火葬場が設けられた」
けれどこの火葬でさえ「当時としてはねんごろに送られたとみるべきかもしれない。なぜなら圧倒的多数の遺体は、火葬されることもなく、都内の各地、主に寺院や学校、公園などに埋められたからだ」

この遺体を埋めるためには軍人、警官はもとより「囚人、子どもまで動員」されました。仮埋葬とはいうものの、実際は(錦糸公園の場合)「直径、深さとも三メートルほどの穴」をいくつもあけ、あけ、トタンに乗せて運んできた遺体を埋めるというものでした。
これは錦糸公園だけではありません。この本の中に「仮埋葬地と埋葬体数」の表がありますが、「仮埋葬の場所は「一五〇カ所」と記されているそうです。(『東京都戦災詞』より)

そして「敗戦から三年余りが過ぎた一九四八年冬、東京都は仮埋葬の改葬を始め」ます。けれど、それは大きな穴に複数の遺体を埋めた合葬がほとんどで、身元が特定するできたのは「一割にも満たない七一五六体だった」といいます。「引き取り手のない遺骨は、東京都慰霊堂に納められた」のです。
この改葬に立ち会った人の体験・目撃の話には胸がふさがる思いがします。
栗原さんは仮埋葬地だった場所を訪ね歩きます。ても帰ってくる声はありません。それどころかある古刹では「(仮埋葬地になった)公演は現在、人々の憩いの場になっているはずです。また同じく仮埋葬された寺を、心の故郷と思っている意図が多数いらっしゃいます。いまさら、そんなことを蒸し返す必要があるんですか」と拒まれてしまいます。

けれど栗原さんの言うように「そもそも空襲は「歴史」になっていないのだ。(略)東京大空襲で殺された人たちの遺骨は東京都慰霊堂に眠ったままだ。さらに重要なのは、前述のように大空襲の死者たちをどこに何体埋葬したか分からないことだ。したがって、すべての遺体を掘り起こすことも不可能だったはずだ。遺骨は都内の各地に今でも埋まっていると、考えるべきだろう。子どもたちが歓声をあげて走る校庭に。あるいは大人が憩う公園に。初詣の人々が集まる寺の境内に……」「敗戦から七〇年。今もなお東京に眠っているであろう空襲の犠牲者たちは、そんな戦後史の証人である」のです。

東京の地下に〝戦後史の証人〟がねむっているというならば、〝戦争の証人〟も数多くいます。同じ東京の硫黄島、本土の広島、長崎(この両都市も一日で多くの犠牲者を出したのはいうまでもありません)、そして最大の激戦地、沖縄、それらの場所を栗原さんは訪ね歩きます。
再開発の中で新たな遺骨が発見された沖縄、まだまだ数多くの遺骨が地中に眠っています。
「沖縄だけで二〇万人が死んだ戦争は、自然災害ではない。国策決定者や組織の作為なり無作為によって生じた人災である。その人災によって、沖縄では一八万もの「無縁仏」が眠ったままだ」

この本では沖縄戦の背後にあった軍部・政府の思惑と共にこの沖縄戦で自決した大田海軍少将の有名な電文が紹介されています。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」
けれど戦後日本は〝実〟のない態度を沖縄に取っていたのではないでしょうか。

そして日本国外で収容されていない遺骨はいったいどれくらいになるのでしょうか。一説には110万以上の遺骨が残されたままになっているともいわれています。戦闘死だけではありません。戦病死者、餓死者を無数に生んだ〝白骨街道〟の異名を取った場所は一つではありません。インパール、ニューギニア、シベリア等々にもあるのです……。

遺骨収容活動に参加、取材した栗原さんはこう結んでいます。
収容がどんなに困難な道のりであっても「「一柱でも多く」という意志と姿勢を持ち続けなければならない。そして、海の底に、シベリアの凍土に、南方の密林に、さらには日本本土にさえ身元の分からない戦没者の遺骨がたくさん眠っていることを、どうしてそんなことになったのかを含めて、我々は知り、後世に語り継がなければならない。それがあの戦争を経験した人たちに連なるものの責任である」

もう一つ、栗原さんは重要な指摘をしています。
「遺族の中には、戦没者の遺骨がこの靖国神社に保管されていると信じている人がいる。そう思い込む理由はあるのだが、実際のところ、同神社に遺骨はない。二〇一三年一〇月三日。来日していたアメリカのケリー国務長官とヘーゲル国防長官が、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花した。帰還した遺骨で引き取り手の見つからないものは、この墓苑に納められているのだ」
それは「靖国神社はアーリントン墓地と同列ではない、ということを伝えようとした、ということだ」

〝靖国〟なるものがはらんでいる問題を、遺骨もまた私たちに語っているように思えるのです。

書誌:
書 名 遺骨 戦没者三一〇万人の戦後史
著 者 栗原俊雄
出版社 岩波書店
初 版 2015年5月20日
レビュアー近況:CSでテレビアニメ版「デビルマン」の連続放送が昨晩始まりましたが、子どもの頃観た第一話(の特にBパート)の記憶が相当あやふやだったことに気付かされました。最初の敵が妖鳥シレーヌでなかったのはショックでしたが、初っ端から不動明のベルトバトルが観れて少しホッとしました。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.08.18
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3941

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