見出し画像

〝悲しみ〟や〝愛惜〟という感情になる前の〝心〟としかいいようのないものがあふれています──やなせたかし『やなせたかし おとうとものがたり』

「弟よ 君の青春はいったいなんだったのだろう」

という詩の一節から始まるこの本は柳瀬さんが最愛の弟さんについて書かれた詩と絵そして未発表のエッセイで編まれたものです。

複雑な家庭環境で育った兄弟でしたが、お互いに慈しみあって育ちます。
「シーソーというかなしいあそびがある 一方があがれば 一方がさがる 水平になることは一度もない(略)ぼくたちは 一方があがれば 一方がさがり いつも水平になれなかった それでもぼくらは仲良しだった」

高知県の田舎で野山、川で遊び回っていた二人には〝大人の事情〟など関係ありませんでした。
「兄弟ふたり孤立して隣の村の子どもらと けんかした日をおもいだす 死ねばいっしょとおもいつめた 弟の目をおもいだす」

そして2人は違う道を歩み始めます。
やなせたかしさんは美術・デザインの道へ進みます。弟の千尋さんは、養家を継ぐべく京都帝大へ進みました。

無垢な時代は終わり始めていました。
日本は戦争の道を突き進んでいったのです。

兄は中国大陸の激戦地へ、学徒出陣した弟は海軍特殊潜航艇での特攻隊へ志願します。そして
「海軍戦死公報には 「海軍中尉柳瀬千尋二十二歳 バシー海峡の戦闘において 壮烈な戦死」 なにが壮烈 なにが戦闘 弟は戦場へ向かう輸送船ごと なんにもせずに撃沈されたのだ バシー海峡」

やなせさんがこの悲劇を知ったのは復員後の昭和21年でした。やなせさんがめにしたのは「遺骨も何もなく、骨壺の中には海軍中尉柳瀬千尋と書いた木札が一枚だけだった」のです。

「なぜぼくだけが生きのこり なぜぼくだけがここにいる」
重い問いを抱いて生きること、それがやなせさんの戦後の日々でした。
「「いったい君は 何をしたかったのだろう 君のかわりにやるとすれば ぼくは何をすればいいのだろう」 おもいでの中の弟は まだとてもちいさくて びっくりしたような眼をみひらき 「兄ちゃん、わからないよ」 と恥ずかしそうにいった」

ここには〝悲しみ〟や〝愛惜〟という感情になる前の〝心〟としかいいようのないものがあふれています。
〝やなせたかし〟という〝存在〟の核を感じさせる詩画集です。モノクロのイラストがその思いをさらに強く感じさせます。

そして末尾にそっと置かれた言葉
「悲しみは今頃になって深くなってきた。僕は時々、弟が奇跡的に南の島で生きて巡り会えることになると思う時がある。もちろん、それは幻想にすぎないが、その時、僕は弟になんと言おうかと思案して、うまい言葉が見つからなくて困ったりする」

戦争が私たちに強いたもの、それが私たちに失わせたもの、どのような大義名分があっても埋めることができない空白……。
やなせさんが抱えた〝悲しみ〟、それは私たちが歩んではいけない道を教えてもいるように思えるのです。

書誌:
書 名 やなせたかし おとうとものがたり
著 者 やなせたかし
出版社 フレーベル館
初 版 2014年9月9日
レビュアー近況:戦後70年、野中のレビューもそのテーマのものを多く取り上げさせて戴きました。鎮魂と不戦と、誓い新たに生きていかなければなりません。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.08.14
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3901

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?