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〝天才〟という才能だけでは難しい、どうしても〝業〟が呼び出されてくるのだ──安部龍太郎 『等伯』

〝天才〟の物語というのではなく〝業〟に取り憑かれた男の物語として安部さんは長谷川等伯を描き出したのだと思います。

等伯と同時代を生きたもう一人の天才・狩野永徳の父、狩野松栄は等伯に遺言のような言葉を残します。
「倅は子供の頃から、天才の名をほしいままにしてきた。だが、それゆえに伸ばしきれなかったところもある。だからそなたのように野生の血を持つ絵師をぶつければ、目が覚めると思ったのだ」
松栄のいう〝野生の血〟こそが等伯の〝業〟というものだったのです。それは絵のためには家族、係累を顧みることもなく、無頼としかいいようのない生き方を強いるものでした。それだけではありません。時の権力者におもねることなく、生きる者として等伯を奮い立たせるものでもあったのです。

松栄死後の、狩野派との軋轢の中で不審な死をとげた最愛の息子、久蔵。等伯はその死の究明を関白・豊臣秀吉に訴え出ますが、かえってそれが等伯を窮地に陥れてしまします。
秀吉の勘気を被った等伯でしたが、近衛前久のひと言でその場を逃れることができました。ただし1枚の傑作を仕上げることを条件に……。

「命をかけた一枚」を求めて苦しむ等伯の姿、小説では10ページほどですが、そこで濃密に描き出された等伯の姿は人間の全ての感情・思いを凝縮したもののように感じました。感動や哀歓だけではありません、世の無常をすら見据えた等伯の心を感じ取ることができます。
その傑作「松林図」生んだものこそが〝業〟のため捨てた故郷・七尾のある風景でした。等伯の〝業〟は彼をどこへ誘ったのでしょうか。彼がその果てで生み出したkの1枚の絵、それは利休と同様に、等伯の処刑を命じようとしていた秀吉に
「わしは今まで、何をしてきたのであろうな」
と嘆じさせ、傍らにいた家康をして
「拙者とて同じでござる。心ならずも多くの者を死なせてしまいました」
と落涙させるものでもあったのです。

絢爛たる文化が花開いた安土桃山時代は、数多くの死者たち、権謀術数の中で生き延びた者たち、その累々たる屍の上に花開いたものだったと安部さんは語っているように思います。そしてそれを捉えることができるのは〝天才〟という才能だけでは難しい、どうしても〝業〟が呼び出されてくるのだ、そう語っているように思いました。

執筆中に東日本大震災に遭遇した安部さんはこう語っています。
「この現実を前に小説家に何ができるのか。そんな疑問に直面し、無力感に押しつぶされそうになった。それでも何とか書き続けることができたのは、数々の苦難を乗り越えて松林図にたどりついた等伯の強さに触発されたからである」

これもまた時を超えた〝業〟のしからしめたことのように思えました。

書誌:
書 名 等伯
著 者 安部龍太郎
出版社 日本経済新聞出版社
初 版 2012年9月15日
レビュアー近況:なでしこJAPAN、NHK-BSスタジオゲスト・大竹七未さんの試合後開口一番通り「心臓に悪い」W杯緒戦勝利。「スペシャル」(今日だとバッハマン選手)がいるチームに対してこう闘うというチームの決まりごとは、徹底して守れていたかと野中は偉そうに思いました。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.06.09
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3612

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