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だれが、どの国がユーロを支配しているのか!?──エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』

〝ドイツ帝国〟といって怪訝な顔をする人がどのくらいいるでしょうか。もちろんあの悪名高い第三帝国の後を継いだものではありません。けれどヨーロッパの金融帝国として出現した〝帝国〟だというと、そうかもしれないと納得される人も多いのではないでしょうか。とりわけ近年のギリシャ問題でイニシャティブをとっているのがドイツだということを思い返すと……。

「人は政府債務というものをたいてい借りる側に目つけて眺め、借りる側が見境もなく支出したのが悪いと判断します。諸国民は支払う義務を負っている、なぜなら掛け買いで暮らしてきたのだから、というわけです。ところが、債務の出発点のところにいるのは、これはもう基本的に借り手ではなく、自分たちの余剰資金をどこかに預託したい貸し手たちです。(略)借金をする国家は、法的拘束の専有のおかげで、金持ちたちが彼らのお金を最大限安全に保有し、蓄積できるようにしてやる国家なのです」
「この現実を隠す機能を果たしているのが、底知れぬ債務だの、国の破産の可能性だの、トリプルAを失わないようにする必要性だのを振り回し、人びとを不安に陥れると同時に好んでモラルを説くタイプの言説です。現行システムの論理的でリベラルな外観の背後で、国家が、最富裕層の利益のために人びとから金を貸し取るマシーンになっています」
それゆえ、トッドさんは債務危機に対してデフォルトの宣言を勧めます。

翻訳のうまさもあるのでしょうが、歯に衣着せぬトッドさんの面目躍如たる本だと思います。そんなトッドさんがEU内部からのEUの問題を剔抉したのがこの本です。
EUが抱えている問題とはなにか、それはほかならぬドイツ覇権の確立がもたらした世界秩序の変更です。メルケル政権も10年になりますが、この間ドイツはEUの中で中心として確固たる地位を築き上げることができるようになりました。というよりトッドさんにいわせると「ドイツの一人勝ち」になったというのがEUの現状なのです。
「①ここ五年の間に、ドイツが経済的な、また政治的な面で、ヨーロッパ大陸のコントロール権を握った。
②その五年を経た今、ヨーロッパはすでにロシアと潜在的戦争状態に入っている。
この単純な現象が二重の否認、つまり現実を現実として認めない態度によって見えにくくなっている」
今のヨーロッパは事実上ドイツに率いられているものです。この本の口絵の〝「ドイツ帝国」の勢力図〟ではドイツの影響力、誤解をおそれずにいえばその支配力を一望できます。

なぜドイツがここまで強大になったのでしょうか。トッドさんはこう分析します。それは冷戦に終結によって教育水準が高く、しかも安価な労働力を手に入れることができたからなのだと。
「ドイツが擡頭してきたプロセスは驚異的だ。東西再統一の頃の経済的困難を克服し、そしてここ五年間でヨーロッパ大陸のコントロール権を握った。こうした推移の全体を解釈し直すべきである。金融危機のときに証明されたのはドイツの堅固さだけではない。あれでもって、ドイツには債務危機を利用してヨーロッパ大陸全体を牛耳る能力があることも明らかになった」

このドイツ(ドイツ圏ヨーロッパ)が今かつてない動きをし始めているとトッドさんは警鐘を鳴らしています。
それはアメリカとの衝突であり、中国との接近です。
本来このようなドイツの動きを止めるのがフランスの役割でもあったのですが、その役割を放棄したにもかかわらず「この国は自ら進んでドイツに隷属するようになったという事実を相変わらず認めない」ままであると。
トッドさんははっきりと「オランドはドイツの副首相と呼べるくらいだ」とまで糾弾しています。

「「ドイツというシステム」は驚異的なエネルギーを生み出し得るのだということを認める必要がある」
ここから始めなければなりません。するとウクライナ問題もトッドさんの見方ではドイツによる「併合問題」というようにとらえるべきだということになります。「ドイツというシステム」が産み出したものがウクライナ問題なのです。

「もっぱら力関係の現実に注目する戦略的現実主義の世界に身を移せば、今日、二つの大きな先進的産業世界の存在を確認することになる。すなわち、一方にアメリカ、他方に新たな「ドイツ帝国」である。ロシアは第二次な問題でしかない」
という〝二大帝国〟にヨーロッパは担われていることに注視すべきだと言っています。
「もしロシアが崩れたら、あるいは譲歩をしただけでも、ウクライナまで拡がるドイツシステムとアメリカとの間の人口と産業の上での力の均衡が拡大して、おそらく西洋世界の重心の大きな変更に、そしてアメリカシステムの崩壊に行き着くだろう。アメリカが最も怖れなければいけないのは今日、ロシアの崩壊なのである」
そしてアメリカ、ドイツの自由、平等に対する価値観の違いが対立を顕在化させるとも……。

この「ドイツというシステム」の分析に、トッドさんは専門の歴史学、人口学、家族人類学の知見を用いて極めて興味ある議論を展開しています。その比較社会文化分析、家族構造分析がもたらしている知見は、この本を単なる時務情勢論ではなくしている一因であるように思えます。

「ドイツ覇権よりアメリカ覇権のほうがマシ」というような語気の鋭さに目を奪われてはならないと思います。なにより彼は
「私はごく自然に、理性的な節度の範囲内で自分の国を愛しているわけですが、一科学者として、政治家たちがその国に暮らす人びとの内でも最も弱くて脆い立場にいる人びとを無益に苦しめつつ、全体を災厄へと引っ張っていくのを目の当たりにして激しく苛立つことがあるのです」
という倫理観にたっているモラリストでもあるように思えるのです。

ところでインタビューで語られた
「一九七〇年代にハンガリーで流通したある大胆な冗談が、東ヨーロッパ内の際を理解するのを助けてくれる。すなわち、「一九五六年にハンガリー人はポーランド人のように行動した。ポーランド人はチェコ人のように行動した。チェコ人は豚のように行動した」」
というようなひと言がすぐに出てくるところにヨーロッパ知識人が身につけている歴史への蓄積力を感じてしまいました。
「一九五六年にハンガリー」がなんであったのか、それが世界中にどのような影響を与えたものだったのか。もちろん日本にも大きな影響を与えたのですがそれを語る人は日本には……あまりいないように思えます。来年で60年になりますが……。

書誌:
書 名 「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告
著 者 エマニュエル・トッド
訳 者 堀茂樹
出版社 文藝春秋
初 版 2015年5月20日
レビュアー近況:新幹線での焼身自殺火災、現地から速報レポートで「トリアージュ(負傷者などが同時多発的に発生した場合、患者の緊急度を分別するタグ)を身に付けた乗客の方が……」と、各局ありました。現地レポーターやスタジオのMCが「トリアージュ」の説明・補足を行っているところもありましたが、ザッピングして観た中では僅かでした。大規模災害発生時など非常に重要な識別救急、まだまだ一般化されていないコトバをどう伝えるのか、メディアの端くれで生きる野中も考えなければなりません。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.06.30
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3721

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