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「二千年に及ぶ日本人の歴史から、最後の語録をつくることことができないか」──桶谷秀昭『日本人の遺訓』

遺訓とは故人の残した教えという意味ですが、桶谷さんがここでとりあげたのはその意味とは少し違っているように思えます。

「この文学者はつねに孤独であった。社会にあつても家庭にあっても、その孤独をいやすなにものをもみいだすことができなかった。にもかかはらず、おのれの孤独に由来する苦痛を人に訴へたり、反抗的な姿勢において世間に向ふことをしなかつた。それはこの文学者が、自分自身にたいしても孤独だつたからである」
桶谷さんが「夏目漱石」の章で綴った一文です。そしてこれがこの本の通奏低音であり、もしかすると桶谷さんの現在を表しているのかもしれません。

この孤独というものがどのようなのであったのか、たとえば
「内村鑑三の生涯は、「日本」に捨てられ、「世界」に絶望し、イエス・キリストと神のために、現世における足場を失つていく過程にほかならなかつた」(内村鑑三)
「西郷は、「おはんたちの蹶起には同意できんが、……俺が身体は、おはんたちに上げ申そ」と語つた。わが事やむ、といふ内心のつぶやきが、捨身の行為になつた」(西郷隆盛)
というものですが、これは近代人の宿痾ともいうべき孤独ということとは違っているように思えてなりません。

それがどのようなものであるのか……。
頼朝の再三再四の請いに断り切れず最後に家伝の兵法を「詳しく語つた」にもかかわらず、歌のことについては一切語らなかったという西行にふれてそっと置かれた1行、「かつての武術にかはつて、いまは生命とおなじ歌の道のことはいひたくなかつたのであろう」(西行)に通じるものではないでしょうか。
ここで描き出されたのは、孤としてしか生きられない存在のありようです。そしてそれは近代の自意識がもたらす孤独とはまったく異なったものだと桶谷さんはいっているように思えるのです。

「古川正崇の遺書は、死を納得するために、何らかの観念の助けをも借りずに、迫りくる死そのものをみつめつづけた、求心的な持続力によつて、われわれを感動させる」(神風特別攻撃隊)は、そのまま日本武尊の「吾は倭にも還ることができずに、この地に今死なむとする。それが悲しい」に通じるものなのではないでしょうか。

「二千年に及ぶ日本人の歴史から、最後の語録をつくることことができないか、といふのがこの本の意図である」という桶谷さんがこの本に込めた思いは伝わったのでしょうか。
34人の先人たちの精神を追ったこの本は、確かにある意味では名著『昭和精神史』を超えた「日本人の精神史の素描たりえてゐる」ものですが、それはあまりにも厳しく孤を生きた日本人の姿のように思えてなりません。これもまた『代表的日本人』なのだとは思いますが、これを継ぐものは今どこにいるのでしょう……。言葉がどんどん軽くなっているように思います。一国の宰相が平然といや傲岸とすら思えるような振る舞いでのヤジ、それも委員会で飛ばせるなんてなんて時代なんでしょうか。そこには言葉、対話、説得、議論など、なにも見られません。かつて吉田茂首相はマイクが偶然拾ってしまったひと言「バカヤロ」のつぶやきひとつの責めを追究され衆議院を解散しました。今の安保法制の審議のやりとりをみていると、毎日解散しなければならないような〝まさに〟〝いわば〟醜態語録とふるまいばかりです。桶谷さんの集めた先人たちの「入魂の言葉」を持っている人がそこにはいるのでしょうか……そんなことを感じてしまいました。

書誌:
書 名 日本人の遺訓
著 者 桶谷秀昭
出版社 文藝春秋
初 版 2006年3月20日
レビュアー近況:午前に口永良部島新岳で大きな噴火が起こりました。昨年末の西日本新聞の記事がウェブで再掲されているのを読みました。御嶽山の災害を受けて火山の観測強化を求める声が高まったことに、「犠牲者が出んと国は動かん。口永良部で噴いたことを政治家は知っとるんやろうか」という島民の嘆きは、果たして届いていたのでしょうか。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.05.29
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3520

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