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才気あふれる一大衆として生きた戦前、戦中。そして自覚した大衆として生きた戦後──津野海太郎『花森安治伝―日本の暮しをかえた男―』

「民主々義の〈民〉は庶民の民だ

ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ」
雑誌『暮しの手帖』の創刊者、花森安治さんのエッセイに記されている言葉です。
「この雑誌に企業広告はのせないと最初から決めていた」という独自の編集方針のもと、厳格な〝商品テスト〟を雑誌の特色として生まれた雑誌です。なぜ花森さんは徹底した生活者目線、生活者本位の雑誌を作ろうとしたのか、その男の一生を追った傑作評伝です。

旧制高校時代から校友会雑誌の編集に携わり、「編集者になる」夢を持った花森さんは東京帝国大学入学後、『帝国大学新聞』の編集に加わります。先輩の扇谷正造さん(後の『週刊朝日』の名編集長、評論家)をもうなわせるような斬新な誌面構成で『帝国大学新聞』の声価を高めました。花森さんのデザインは「先端的なモダニズム文学やアヴァンギャルド芸術」の影響をうけグラフィックデザインを重視したものでした。

けれど軍靴の響きが大きくなる時代、ある企業の宣伝部に入社した花森さんも徴兵され戦地へと派兵されることになります。けれど前線で病に倒れ、退役後は復職後さらに大政翼賛会の宣伝部に転職します。
「発足時の翼賛会には、台頭する軍部の力を押さえ、急速に強化されてゆく言論統制に歯止めをかけるという防波堤としての一面が、すくなからずあったらしい」ものの「軍部独裁への歯止めという含意を持つ「軍民一体」という翼賛会の運動構想が、けっきょくはすべての国民の軍人化という「軍部の抱懐する理想」にゆきついてしまう可能性への、かれらに共通するおそれがあった。このおそれは案の定、すぐに現実のもの」になってしまったのです。

誰でもが一度は耳にしたことがあると思う「ぜいたくは敵だ!」という標語は翼賛会時代の花森さんが作ったものだと言われています。その真偽のほどは定かではないものの「この時期の翼賛会宣伝部員としての花森については、戦後の社会では、「あの旗を射て」「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」など、一連の戦意昂揚スローガンをつくった人物」として戦後、彼の仕事が問題視されることにもなりました。

津野さんは当時の花森さんの考えは
「──なにがなんでも私たちの国を守らなければならない。
ここまではおなじ。でもそのあとがちがう。
──守るべき国とはなにか。まず第一に私たちの暮らし、日本人の日常生活である。私たちの暮らしを、精一杯、守りがいのあるものにしていこう」
と紹介し、ある意味で一生活者としては決して指弾されるものではないといっているように思います。

さらにそのスローガンのほとんどは「しかし実際には(略)花森安治がみずから筆をとった作品ではなかった」ことを跡付けています。けれどそのことを花森さんは自ら明らかにすることはなかった……それは……
「じぶんの作であろうとなかろうと、これらの標語の作成に花森が翼賛会宣伝部の有能なスタッフとして「一生懸命」かかわった事実に変わりはないからだ。もはや取り消しのきかない過去の事実として、「ぼく」はそういうしかたであの戦争に積極的に「協力した」。そうである以上、いまさら弁解はしない。なにをいわれようととも沈黙をまもる。(略)それが戦後の花森のえらんだ生き方だったのである」
と津野さんは記しています。
これが花森さんの戦争責任の取り方だったのです。

戦後すぐ花森さんは大橋鎮子さん(のちに共に出版社を起こした人です)にこう話していたそうです。
「今度の戦争に、女の人は責任がない。それなのに、ひどい目にあった。ぼくには責任がある。女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、戦争は起こらなかったと思う」
と……。

生活者の視点を手放さずに戦前、戦中を生き、それゆえに戦争にも荷担することになってしまった花森さんの痛恨の念があるように思います。そして自らの責任の取り方もまた見事としかいいようがありません。

才気あふれる一大衆として生きた戦前、戦中、中江丑吉さん(中江兆民の息子の中国歴史家)の言葉を借りれば、戦後は〝自覚したマッセ(大衆)〟として生きたのかもしれません。
「ボクは、たしかに戦争犯罪をおかした。言訳させてもらうなら、当時は何も知らなかった、だまされた。しかしそんなことで免罪されるとは思わない。これからは絶対だまされない、だまされない人たちをふやしていく。その決意と使命感に免じて、過去の罪はせめて執行猶予にしてもらっている、と思っている」
『暮しの手帖』での、伝説となった鬼編集長ぶり、女装、長髪パーマ、誌面デザインや商品テストへの徹底したこだわり、それら一つ一つが花森さんの戦争責任の取り方だったのです。

この本は花森さんのそうした軌跡とともに、彼の画期的なデザイン思想をも分析したとても読みごたえのあるものです。
ところで、2016年度(平成28年度)前期放送予定のNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』は、「「暮しの手帖」の大橋鎭子・花森安治をはじめとする創業者たちの軌跡をモチーフ」(NHKのHPより)とした作品だそうです。

書誌:
書 名 花森安治伝―日本の暮しをかえた男―
著 者 津野海太郎
出版社 新潮社
初 版 2014年5月23日
レビュアー近況:東京音羽、今日も酷暑日です。出勤時に購入する炭酸水のペットボトル、何時もの500mlから1000mlのビッグサイズのものに。熱中症に注意しましょう。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.08.05
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3861

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