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貧困問題はそのままで私たちに〝自由〟とはなにかを問いなおさせるものになってくる──馬渕浩二『貧困の倫理学』

「豊かな国に住む者たちには世界の貧困問題を解決する責任があるのではないか」

「世界的貧困の放置は、溺れる子どもを救わないことと同じように、ある種の見殺しだとも考えられる」
馬渕さんはこの本で一貫して追求いているのは、この行為の〝倫理的意味付け〟というものだと思います。

一見至極、当たり前のように思いますが、このような行為をする、あるいは、しないという背景にある根拠はなんでしょうか。すると思わぬ隘路に入り込むことになります。
目の前に溺れている子どもがいるなら飛び込んで助けるだろう……。それと同様に「飢えに苦しむ人びとへの援助が豊かな社会の利益を享受する者に課せられた義務なのだ」というシンガーの考え方から、馬渕さんはその倫理的な根拠を探す旅に出ます。
目の前の貧困ではなく世界的貧困と考えた時、私たちはどうふるまうでしょうか。目の前の困難・危機と遠方での困難・危機が同じように感じ、考えられるでしょうか。いくらグローバル化になったとはいえ、シンガーのいうように「特別視すべき要素ではない」といえるでしょうか。空間的距離の問題は、他面では貧困を抽象的にとらえる危険に陥ることがあると思います。貧困は世界的な問題でもあり、また一国内の問題でもあります。私たちがつまずくのは一国内の貧困(格差)と世界的な貧困とが同じ次元では考えることができないということではないでしょうか。シンガーの功利主義、「関係者全体の利益の増加──可能ならばその最大化」というのはとても抽象的に思えてなりません。

馬淵さんはこのシンガーの功利主義に始まり、カントの定言命法的アプローチ(オノラ・オニール)、消極的義務論(トマス・ポッゲ)、正義論(ジョン・ロールズ)、基本権(ヘンリー・シュー)等を取り上げながら、彼らがどのような考えを根拠にしたのかを丁寧に紹介しています。それぞれの倫理思想の意義と、あえていえば限界も含めて……。

そして馬淵さんは更に二つの興味深い論を取り上げています。
ひとつはケイバビリティ・アプローチと呼ばれるものです。「ケイバビリティとは個人に備わる可能性の幅のこと」であり「開発がめざすのはケイバビリティの幅をひろげていくこと」であり「経済的な豊さが開発度を測るための指標とされたり開発の目的とされることは(略)ことの本質を見誤っている」ということになります。センとヌスバウムがこのケイバビリティの代表的な思想家として紹介されています。
「ケイバビリティ・アプローチからすれば、ある所得が貧困を生みだした場合、その所得それ自体の水準が問題なのではない。そうではなく、その所得によって最低限必要なケイバビリティが実現しうるかどうかが問題なのである」
つまり「貧困問題は、人びとの生きかたの幅が狭められ、したがって自由が剥奪されるという倫理的な問題として発見され(略)この世界は自由が大幅に剥奪された世界」として私たちの前に現れてくるのです。貧困問題はそのままで私たちに〝自由〟とはなにかを問いなおさせるものになってくるのです。

もう一つはポストモダニズム(ジェニー・エドキンス)からの視点です。
「貧困は近代によって克服されるべき要素として近代によって必要とされるからであり、貧困の存在は近代を強化するように機能するからである。貧困の克服には近代化が必要なのだとの確信を生み出すことによって、貧困は逆説的に近代を支えている。貧困が存在するかぎり、近代化への欲望は強化されつづけるだろう」
フーコーの生政治的な考え方を展開し、「貧困者の生は(略)知と管理の対象となってはいないだろうか」という問いに答えてエドキンスさんは
「援助によって貧困の解決を目指す言説もまた、こうした近代的権力の形態として機能していることになろう」「貧困と援助をめぐる知識が一種の強力なイデオロギー性を帯び、権力的な効果を生み出すことを告発」することになるのです。

貧困問題という、一見誰でもがその解決を望み、願い、その行為を承認するような問いかけにも大きな問題がはらんでいることを教えてくれた一冊でした。世界的な貧困もあり、また一国内での格差(貧困)という二重の問題を、二重の問題としてまずは考え始めなければならないと思います。馬渕さんの次の一文の重みをかみしめながら。
「ある者が、貧困に苦しむ者たちを救うという意図にもとづいて決断し行動するとき、つまり倫理的に生きようとするとき、その者はおそらく避けがたく政治的たらざるをえない。なぜなら、貧困の問題を解決するということは、まさに貧困を生み出す社会関係を問いなおすことだからである。貧困問題を解決するための営みはそれゆえさまざまな抵抗に出会うだろう。倫理的であろうとすることが避けがたく政治的であること──貧困問題においては、そのことが見紛うことなく露呈する」

書誌:
書 名 貧困の倫理学
著 者 馬渕浩二
出版社 平凡社
初 版 2015年4月15日
レビュアー近況:サッカーACL、柏レイソルは残念ながらベスト8敗退でした。野中の贔屓チームにかつて在籍していた吉田達磨監督、太田徹郎選手、お疲れさまでした。日本と中国・中東のクラブ規模の差が勝敗に色濃く反映されています。ビッグクラブを生み出していくのか、其れとも違う道を行くのか、Jリーグのターニングポイントであるのは、間違いありません。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.09.16
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4112

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