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編集後記―対面の学会に参加する意味
「やはり対面がいい」という言明は、OriHimeでしか他者と出会えない人にとって暴力的だ。対面会場に数えるほどしか参加者がいない青山学院大学17511教室の壇上に司会者として座った私は、そんなことを考えていた。参加者の多くが「対面」ではなく「遠隔」を選択したわけで、全体の参加者もけっして多くはなかった。二年連続で活躍したビデオ会議システム「ミーティングオウル」によるハイフレックス学会は、成功したとは言えないのかもしれない。それでも、「新しい日常」の「新しい日文協」を柔軟に受け止めてくださる登壇者にめぐまれ、「ハイフレックスでやってよかった」と言明できるシンポジウムになったと感じている。迷ったときは前に進むことを選択したい。会員諸氏の感想や如何に。
コロナ禍のオンライン開催、ハイフレックス開催を体験しながら、研究者が学会に何を求めているのかということが、荒削りではあるが、少しずつ浮き彫りになってきた気がしている。
参加者の多くが「対面」ではなく「遠隔」を選択し、全体の参加者がきわめて少なかったのはなぜか?
自分の胸のうちの声にも耳を傾けながら、思い描いた「仮説」は以下の通りである。
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地方開催の学会は楽しい。なぜなら学会に行くことに付随して、ふだんは会えない研究者仲間に会い、美味しい料理を楽しむことができるからだ。
シンポジウムに著名な作家やスター研究者が登壇するとなれば、ぜひとも「見に行きたい」という気持ちになる。
自分の恩師や知り合いが登壇する場合もしかり。
自分とつながりがある人間が、学会のメインステージに立つということになれば、ぜひとも「見に行きたい」という気持ちになる。
懇親会などでこうした登壇者と言葉を交わすことができるというのも、学会の醍醐味である。
対面の場で、研究者のコミュニティに確固たる人脈を構築し、自尊感情を高めることができるかもしれない。
でも、そういうことが望めないのであれば、雑務に追われている中で、貴重な時間を割いてわざわざ会場まで足を運ぶ必要はない。オンラインで参加できるのなら、とりあえず自宅から視聴するとしよう。
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還暦を過ぎたばかりという年頃なので、今年は「枯れる」という摂理にあらがって、可能な限り「ギラギラ」としていたいと考えながら書いた「編集後記」について、その背後にあった思いの一端を書いてみた。
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