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学力とは何か?―決意表明を繰り返すだけの学びからの脱却

 学力向上。この言葉を耳にすることは少なくありませんが、私たちが考えるべきは「どのような学力を向上させたいのか?」という問いに対する答えです。また、「学力向上は教育の究極の目的ではない」ということを忘れがちです。

 私たちが進化させようとしている「学力」とは一体何なのでしょうか? 何を目指し、どのように評価されるべきなのでしょうか?

 具体的な例を挙げてみましょう。学習指導要領を見ると、国語の学力とは、「自分の考えを持つ力」が重視されていることがわかります。これは、自分が理解したことに基づき考えを深めるという能力です。

 小学校の第3学年と第4学年では、具体的には「文章を読んで理解し、それに基づいて感想や考えを持つこと」という項目が評価の対象となっています。中学校の第3学年では、同じく「文章を読んで考えを広げ、深める」能力が求められ、それが人間社会や自然などの視点から自分の意見を形成する力につながります。

 このように具体的な学力の内容が明らかになると、次なる課題は「どのようにしてこれらの能力を高め、そして適切に評価するのか?」という問いが浮かび上がります。この議論は、我々がどのような学力を重視し、それをどのように育むべきかという教育の根本的な問いに直結します。

 例を挙げて、評価される学力の実態について見てみましょう。ここで考えるのは、「理解したことに基づき自分の考えを記述する力」です。生徒が読んだ内容を理解し、それに基づく自身の考えを適切に表現できるかどうか、ということが評価の焦点となります。

 例えば、海洋汚染に関する説明文を読んだ後、生徒がどのように考えを記述するか、といったケースを想像してみてください。生徒の回答例はこんな具体的な形をとります。
「海洋汚染は、不適切に捨てられたプラスチックが大きな原因となっています。これが海洋生物や私たちの食物供給に深刻な影響を与えていることが理解できました。だからこそ、私たちはエコパックの利用や水筒の持参などでプラスチックの使用を減らすことが重要だと感じました。また、地域で行われるビーチクリーンアップ運動に積極的に参加し、海洋環境の保全に努めたいと思います。」

 教育評価の観点から完璧に見える生徒の回答ですが、それが忖度に終始していて具体的な行動計画が欠けている場合、我々は教育の在り方を見直すべきです。

 学習とは単に"忖度する力"を磨くだけではなく、背後にある真実を探求し、それを体験するプロセスです。ここで必要なのは、具体的な行動計画と目標設定を含む、より深い決意表明です。

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 新たな教育の形では、生徒が目標の達成可能性を自身で考え、学習体験に反映することが求められます。テストでは行動まで評価することは難しいですが、思考を深化させ、感想や決意表明を作り出す力を身につけることができれば、見かけ上のテスト結果が同じでも、その背後にある思考プロセスは大きく異なることでしょう。

 目標は単にテストの結果を上げることではなく、より深い学びを経験させることです。その結果として、テストのパフォーマンスも自然と向上するはずです。

 我々の役割は、具体的な行動に結びついた決意表明を促す学びの場を創出することです。それは学力向上だけを目指すのではなく、真実を見つめ、自分の言葉で表現し、行動に移す能力を養うことを目指す学びです。このような学びの場を提供することで、生徒は真に意味ある学びを体験し、自己成長とテスト結果の改善を同時に達成することができるでしょう。



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