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クリスマスに元彼と会ったら、洗礼名をもらい、土手で炊き出しをすることになった話。

(※ 1年半ほど下書きボックスの中で燻製されていたこの記事を成仏すべく、投稿します。昔の話かつ、とんでもなく季節外れですが、ご了承ください。)

「元彼 クリスマス 大丈夫」

クリスマス前日に検索した言葉だ。
2つ前のクリスマス。私は別れた恋人と会おうという約束をしていた。

円満に別れた私たち。
クリスマスまでは続かなかったけど、当日ひとりで過ごすのもなんだか寂しいしピザでも食べようよ、という話になった。
別れてもフラットに会って話せることが、少し不思議だった。
でもこれ、道徳的に大丈夫そ??と、脳内風紀委員が声を上げた。

彼とは同棲をしていて、別れを切り出してから実際に私が家を出るまでに1週間猶予があった。
目の前にいる人に、1週間後にはいなくなるという期限がつくと、一気に「余命1週間の人間」のように思えてくる。
最後の1週間は、別れへのカウントダウンを感じながら毎日を過ごしたので、今まで以上に仲睦まじくなった。

好きという気持ちが、ぶり返しませんように。
と自分に言い聞かせながら、彼の家に行った。

玄関で「ただいま」ではなく、「おじゃまします」と発した自分に、「そっか、別れたのか」とハッとさせられた。
私の私物すべてが一掃され、私がいた痕跡は1ミリたりともなかった。
私はもう、他人になったのだった。

叩き起こされた、朝7時。

「え、今何時?」
窓の外はまだ薄暗い。
「外出るよ、まぁ寝ててもいいけど。」と言われ、布団を剥がされる私。
ソファーで寝落ちしたことに気づく。
そういえば、クリスマスは友達と一緒にボランティアしにいくって言ってたっけ。
昨日の夜、私も一緒に行くことになったんだった。

家を出ると、彼の友達が2人、立っていた。

「かのんは、カトリックだっけ?プロテスタント?」

と、「おはよう」のあとに聞かれた。
こちとら、寝起きである。
頭を必死でフル回転させて、
「えっと、宗教ね、無宗教だよ」と答えた。
「でも、中高はプロテスタントの学校だった」とも付け加えた。

くりくりっとした目で聞いてきたのは、ルワンダ人のお友達。
(プライバシーのこともあるため、以下、ルワンダ君とします)

敬虔なクリスチャンで、日本の大学院に来る前まではルワンダの村で神父さんになる予定だったらしい。
ゴスペルが本当に上手で、「天使にラブソングを」の主人公とちょっと雰囲気が似ている。
電気もない村で勉強して、今はルワンダ政府の奨学金で日本に留学している人だった。

元彼はカトリックだ。
ルワンダ君も、もうひとりの韓国人の学生も、カトリック。
カトリック3人と、何も分からずついていく無宗教の私。
今から向かうのは修道院だよ〜、と言われて少々焦る。

天にいらっしゃいます、我らの父よ。と唱えたことは一回もないし、英語バージョンも知らない。
アーメンだけは、ネイティブっぽく発音できるくらいだ。

電車をいくつか乗り継ぎ、空が明るくなった頃に小さな修道院に着いた。
ルワンダ君が日本に来てからずっとお世話になっているところらしい。
彼がドアを開けると英語や韓国語、他の言語も聞こえてきた。
そして通されたのは、家庭科室のような小さな部屋だった。

見知らぬ人と、必死のキンパ作り

テーブルにはお米やにんじんなど、韓国料理のキンパ(手巻き寿司みたいなもの)の材料が置いてあった。
韓国人のママさんが、やり方をテキパキ伝授してくれた。

まさか、クリスマス早朝から見知らぬ方と一緒にキンパ作りに励むとは思ってもいなかったなぁ。
でも、やってみるとけっこう楽しい。
うまく、崩れないように力を込めながら巻いていく。
手巻き寿司を作るのと同じ手順で、くるくるとゴザ?を巻いて、切っていく。
修道院に通うほかの人たちも参戦し、一緒にわいわい作った。
みんな三角巾をつけて、エプロンをつけて、本当に家庭科の授業を受けている気分だ。

どういう状況かわからないまま、とにかくキンパを作り続ける。
だんだんコツもつかめてきて、綺麗なキンパね!と褒められたりした。

「あなたの洗礼名は?」

洗礼名発表タイムになったのは、突然のことだった。
ママさんが海苔にお米を乗せながら、じゃあ洗礼名を一人一人教えて、と促す。
「ナタリアです」「ピーターです」と軽い自己紹介が始まる。

えーっと、洗礼名ないな。どうしよう。

これは正直に言うべきか?無宗教と言ったら失礼に値するのだろうか。
マルコ、と言ってみようか、いやさすがに聖人すぎる?男性向けの洗礼名?
「まる子」みたいな感じじゃないよね、絶対ないよね。
待ってこの状況どう切り抜けたらいいんだァァ!

キンパを巻く指に、心なしか強く力が入る。
宗教に対しての意識が全く違う私は、そもそもこの人たちと一緒にキンパをつくる権利はあるのだろうか。
細胞レベルで罪悪感を感じていた。

「あなたは?」

終わった・・・・!ジーザス!
そう思ったその時、

「アガタです。」

ルワンダ君が助け舟を出してくれた。
デカすぎる助け舟だった。

「アガタ...!?」

と聞き返したくなる気持ちをぐっと抑えて、
「そうです、アガタです。アガタ。アガタ・カノンです」
慣れない名前だったので何回も繰り返してしまった。

アガタか〜。
この名前は絶対に思いつかなかったわ。
でも、ルワンダ君が言うのだから、それっぽいに違いない。
ありがとうすぎる。

「アガタ。よろしくね。あ、ちなみに私の洗礼名は、マリアステラ。」
ママさんがにこっと笑った。

「え、かわいい」と口に出してしまった。
アガタよりかわいいじゃん〜!!
(助けてもらっておいてつべこべ言うな)

そして、300人分の炊き出しへ。

その後も「アガタ」と何回か呼ばれるも気づかず、あわあわ動揺しながらアガタとして数時間頑張った。
その後、私は広い土手へ、車で向かった。

そこにいたのは、300人ほどのホームレスの方々だった。

私たちは朝から、この炊き出しのために飲み物や食べ物を用意していたのだった。
きーんと冷える空気の中に、はじめて味わうぴりつきがあった。
炊き出しの量は足りるのか。この人数をまかなえるのか。私は、どういう立場でここに立っていていいのか。そんなことを思いながら、マフラーに顔半分を埋めた。

コロナで一気に増えた、ホームレスの人。
3列に列を整え、じりじりと静かに、前に動いていく。
寒くて、みんな身をぎゅっと硬くしている。
最初に、カイロや洋服がぱんぱんの入った45Lの袋を渡し、
その後にお弁当、缶コーヒー、と渡していく。

私は最後に、地元の中学生が書いたクリスマスカードを渡す役目だった。
白い封筒の中に、メリークリスマス!と絵が書いてある手作りのカードが1枚入っている。

「こんなカードよりさ、現金がほしいんだわ」

一番先頭にいた人が、私の前で封筒を開けてカードを見た時に言った言葉だ。

そうだよな・・・。ごもっともな意見だ。

「ごめんなさい」も、「そうですよね」という言葉も、違う。
何も言わずに、お辞儀することしかできなかった。

少し複雑な気持ちになりながら、そのクリスマスカードを、名刺を渡すように、1人1人に渡していく。

ありがとうございます、と両手で受け取る人。
無言でぺこっと頭を下げながら受け取る人。
ほとんど全員が、受け取ってくれた。

渡し終えた後、「ルワンダってホームレスの人、いるの?」と、ルワンダ君に聞いてみた。

「いないよ。親戚のつながりも強いし、みんな屋根のしたでは暮らせてるんじゃないかな。」

「…先進国って、なにを基準に決めてるんだろうね」

少しずつ冷えていく缶コーヒーを持ちながら、ルワンダ君は呟く。

日本とルワンダを比べて、国単位では日本の方が”進んでいる”と思われるかもしれないけれど。
人間として最低限の生活をできていること。
夜、寒さをしのげて、雨の日は濡れないで済むこと。
先進国だからって、できているわけではないんだな...。

300人は、その場所からあっという間にいなくなった。
冬をしのぐ物品が入った白い袋が、地面に点々と残されていた。
運ぼうとしたけれど、1人で抱えるのはほぼ不可能なくらい、重い。
びっくりした。
この冬を生きぬく。その重さを感じた。

その日炊き出しの現場の指揮をとっていたのは、インド人の修道士さんだ。日本に長く住んでいて、日本語も流暢だった。

同じ宗教を信じている人が、
世界各国から集まった人が、
日本で困っているホームレスの方に炊き出しをしている。
丁寧に袋を作り、ひとりひとりに渡している。

45Lの袋に詰まっているのは、モノ以上のもの。
現金にはない、もっと見えないものだと思った。

そんな大きな白い袋をいくつも背負って、自転車を漕ぎ出したおじいさんの後ろ姿は、一瞬サンタクロースに見えた。

本当の別れ

ルワンダ君たちは、ミサに遅れる!と言って、他の行きつけの教会に向かった。
炊き出しを一緒にしていた人たちも、車に乗ったり、駅に歩き出したりして、みんなそれぞれの家に帰っていく。
ホームレスの方は、どこに行くんだろう。

「また1週間後、ここに来ますのでね。よいお年をー!」
とホームレスの方に呼びかけている声が聞こえた。
来週も列をつくる人は、どのくらいいるんだろう。

炊き出し以外に、職業につけるような支援とかって日本でやってるのかな。
炊き出しやってることって、どうやって共有されてるのかな。

元彼と私は、お互い思ったこと、感じたことをぽつぽつと話しながら、駅へと伸びる長い土手を歩いていた。

なかなか忘れられない思い出を、ありがとう。
もう人生で、この人には二度と会うことはないんだろうな。
そう思いながら、彼と握手をした。

風は冷たかった。空は澄んでいた。
クリスマスソングが流れる街から遠く離れたところで、
私たちは、さよならをした。

臨時アガタ、終了。

アガタという名前を一時的にいただき、
炊き出しをしたクリスマス。
元彼との思い出は、このクリスマスの思い出にすべて上書きされたと言っても過言ではない。

アガタとしての1日が終わり、
そういえば、と思い立って
アガタという名前を調べてみた。

乳房を切り取る、ですって!?

とんでもない拷問受けた人だった。


ルワンダ君、素敵な洗礼名をありがとうね…!!!涙

おわり。

成仏完了!

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