先生はロシアの黒柳徹子さん

この表現が適切かは分からないが、私がモスクワで毎週受けていた文法の先生は私の中で“ロシアの黒柳徹子さん”だった。おしゃべりの勢いがすごくて、とにかく止まらなくて、85分の授業が残り15分というのもしばしばだった。そんな日は、先生のおしゃべりを出来る限り書き起こして当時のブログに載せていた。今もそれを読み返すとその時の情景が思い出されるし、なんだか元気になる気がする。以下、ある日のブログ。

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1コマ目は、文法の授業。
先生やっぱりおもしろい。
授業の途中で、台湾の子の辞書の音声が鳴ったら・・・

「良くあることよ。最近ではね。
こんな時代が来るとは思ってなかったわよね~。数十年前までは。
少し前まで、カラーテレビだけで、驚いてたのに。それからは、ピュンって感じだったわね。
最近では“トゥリ・デー”まであるしね!(←3Dのこと。笑)
でも、便利になりすぎてはだめよね。
子供までパソコン使うから、あんまり手で書かなくなったし、本もあんまり読まない。
だめね。小さい子まで、パソコン、カタカタ(?)と。だってしょうがないわよね。
お母さんが赤ちゃん抱きながら、パソコン、カタカタするんですもの。
そりゃ赤ちゃんの腕もパソコンまで伸びるわ。・・・・・」

ってことをぺらぺらぺらぺら・・・止まらずしゃべり続ける先生。
おもしろい。

「部屋の中に閉じこもっていないで、ちゃんと外に出て感じなさい!
ロシア、モスクワの黄金の秋を。たくさん素敵な公園があるんだから。
そして、冬も。せっかくモスクワまで来たのだから、自分たちの国ではできなかったこともちゃんとやりなさいね。スキーに、スケートに、そりに・・・。」

来週から、木曜日の授業が金曜日に移動して、木曜日はフリー、週休3日制になりますというお知らせから、授業が無い時間をどう使うかという話になって、

「え?○○○も行ってないの?○○は?○○は?モスクワに行く間に行くべきところを書き出していくわよ!!」

と言って、話が止まらなくなりました。

「年をとったらね、ゆっくり時間を過ごせばいいの。
でも、若いうちはどんどんいろんなところに行って、いろんなものを見て、経験しなさい。時間は限られてるのだから。
モスクワに来たのだから、ちゃんと自分の目ですべて見なさい。
帰ってから本を見て、これ見た!ここ行った!って言えるの嬉しいでしょ。
部屋にとじこもっているのなんてもったいないわよ。今の間にたくさん散歩しなさい。寒くなったら、博物館や美術館に通えばいいわ。どこも暖かいからね。

映画はね・・・知らないわ。
長い間行ってないわね。
最後に行ったのは・・・ソ連時代だったかしら。笑
家のテレビで見ることが多いかしらね。
若い人は知らないわ。
映画って、ポップコーン食べながら見るでしょ。
あれだめよ。食べながらなんて何も頭に入らないわ。
そういえば、ロシアのことわざにもあるわ。
みんなの国のことわざにもあるんじゃない?

冬になったらね、明るくなるのは朝9時とか。
夕方4時過ぎにはもう暗くなるわよ。
でもそんなの関係無いわ。
劇場に行きなさい。バレエ見なさい。ロシア語なんて関係ないわ。
オペラ、演劇見なさい。ロシア語難しい??
考えてみなさい。
あなたたち、自分の国で演劇とか見て、すべてのセリフ理解できてるわけ?
そうでしょ。だから、どんどん見なさい。
学生証受け取ったでしょ?安く入れるのだから・・・。

私は、今はもうゆっくり時間を過ごすけどね、私にも若い時があったわ。
簡単なものではないわよ、人生はね。難しいものよ。
みんなは21世紀。
21世紀はいろいろ素早くできるようになったでしょ。
私なんてパソコンも全然ダメ。
私が2時間かかることを、たぶんみんなは10分でやってしまうんじゃないの?
私は20世紀。
ソ連よ。ソ連...
もちろん楽ではなかった。大変だったわよ。
でも、やっぱり故郷なのよね・・・
はあ・・・でもその故郷はもうない。
もうない。そんなことってあるのね・・・。
パスポートにソ連って書いてあるけど、何それ?って感じよね。
もう無いよ、そんなものって........
分かった??11月の最初にも連休があるから、ちゃんと計画を立てるのよ。」

・・・しゃべり終わって時計を見ると、授業時間残り15分!?

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そして、ここからは10ヶ月の留学最後の文法の授業を受けた日のブログ。

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あなた達、モスクワでよく頑張ったわね!と言う話から始まり・・・
「モスクワはあなた達にとって全く新しい世界だったでしょ?
モスクワはね、ニューヨーク?ロンドン?パリはちょっと違うわね。もっと落ち着いてるわ。そうね、ニューヨーク、ロンドンって感じかな。

そのためにアメリカやヨーロッパの方から来た人達にとっては
あまり珍しくはないかもしれないけど、あなたたちにとっては特におもしろかったでしょうね。

でも、もちろんロシアはロシアよ。

サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝がヨーロッパをモデルに作った都市だから、ヨーロッパ・・・?

でもやっぱり、違う。“ロシア~”なのよね・・・」という話に移り、

またソ連時代のお話。

若い人は、感じないけど、
先生くらいの年代の人達は、今もお店で店員さんと接するのが恐いんだって。

今はだんだんお客さんのほうが優位な立場になってきたけど物が不足していたソ連時代、お店の人が“王様”だった。特別に何かしなくても売れてしまう。店員が上の立場。

いつもお客さんはビクビクして、今でもそれが抜けない。

うーん、ロシアのおばちゃん達、そんなビクビクしてる人、私は見たことないけどな。笑

先生は、今も服屋さんとかで、店員さんが話しかけてくるのが恐くて、
話しかけられると買わないと!って思ってしまうから、
高いお店に入るのをためらってしまうらしい。

先生はこういうトラウマを“ソビエトコンプレックス”と呼んでた。

「ロシアでは高級ブランド店が並ぶ通りとか久しく行ってないわね~でも、ニューヨーク行った時は頑張ったわよ。毛皮のお店に入ってね、ぜーんぶ見せてもらって、ありがとね、さようならって帰ったわ。外国だからできること・・・。」

その後はどんな話の流れだったんだろう。やっぱり人間は歩かないとだめよ!という話になり、

車の普及が遅れた理由、

ロシアの道路状況の悪さ、その理由、

これを理解するには、この文学作品を読まなきゃいけないのよ。という本の紹介。


「ロシアを理解するのは難しいかもしれない。

でもこれがロシアなのよ。ロシア人の頭はこうなっているの。

世界は変わっていくもの。昔を知ってる人達は、常に今と昔を比較する。

実際変わってるのは周りだけ。
実際、人の中身はなーんにも変わってないんだけどね。

周りはどんどん変わっていく。
発展には二つの局面がある。プラスとマイナスね。

常に分析、比較の毎日ね。」

「……そしてね、ロシアは、大きな橋なのよ!!

アジアとヨーロッパを結ぶ橋!!!!!」
という大きな話になり・・。
最終的には、

「あなた達はもうすぐ“家”に帰るのよ!大きな喜びを感じると思うわ。

家はやっぱり家。どんなに悪い家でも家は家っていうからね。

このほぼ1年の間にたくさんのものを見てきたと思うわ。

大きな経験を得たの。それを持ち帰ってこれからどうするかよ。

もう一度考え直すのよ。やってきたことを今度はちゃんと家で復習するのよ。

授業はもう一度あるから、次までにこの表見て来てね。
・・・・はい、これプリントね。」

ここで、ようやく文法のプリント配布。

この時すでに授業終了時間。いや、すでに過ぎてた。
他の子たちはまだ来週もう一回だけ授業があるのですが、帰国日の関係で私はこの日が最後。

来週の最終授業はどんな感じで終わるのでしょうか?
やっぱりこの先生、ロシアの黒柳徹子だ。
偉大だ!!
尊敬します。

そして、そんな先生が私は大好き。

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と最後の授業もおしゃべりで終わっていたようだ。

当時のブログに残っているようにソ連時代の話はよく聞かせてもらった。それらがどこまで真実で一般的な話かは分からない。でも実際に経験した人が自分の感じたままに話してくれるストーリーは人間味に溢れ、私が生まれる前のことだけど、ついこの間のことのように感じられた。

あれからまた10年近く経った。モスクワの街もまた大きく変わったけど、先生の目にはどんな風に映っているのかなあ。久しぶりに会いたくなった。





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