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【サ活】サウナとはどういう場所であり、どういう場所でありつづけるのか?【2023/02/11】


レックスイン川崎

レックスイン川崎に行った。

単刀直入に言う。

「ここ、合わねぇな」

って、初めてサウナで思えた。

言っておくが、「ここ、合わねぇな」は偉大な発見であり、褒め言葉でもある

去年からNetflixの「サ道」に影響されてサ活を始めた。

その頃は、行くサウナ行くサウナ、どれも質が高くて、未知の世界を訪問する度、必ず驚きがあり、心を虜にする何かがあった。

ゆっこ盛岡に始まり、

今や私が週1で通うレベルのホームサウナとなった、KANAN SPA。

東京に足を伸ばして、聖地・北欧。

初めて熱波を浴びたスカイスパ横浜。

どれも、とても私の好みに合ったい〜い施設です。

細かいところまでサービスが行き届いている。
サウナと水風呂の温度は言うまでもなく、サウナ飯の程よいクオリティだったり、泊まれる部屋の快適さだったり。
どの施設も皆、最高のととのいとは何かをよく考えて設計されている。
だからこそ、そこにいてとても居心地がいい。
清々しい気持ちになれる。
それでいて、嫌味がない遊び心があって、それがまた粋で、また行きたいなぁ、なんて思っちゃったりして……
この感覚に上手い表現がないのだが、強いて言うなら
サウナとヴァイブスが合う
としか表現しようがない。

場には必ず固有の周波数というか、ヴァイブスがある。平たく言えば、「雰囲気」みたいなものだが、そう言っちゃうと解像度が低い。ヴァイブスなのだ。
サウナだと余計、ヴァイブスが物を言う。
10分前後、基本的には何もせずそこでじっといなければならないからである。
熱さに耐えて、感覚を研ぎ澄ませながら、チルアウトに向かう最適なフローを組み立てなければいけないからである。
その日の気分にマッチしているかどうか。
その日その時の体験を締めくくるのに丁度いいかどうか。
何より、サウナと水風呂がその時の希望に応えて、自分の心を察してくれているかどうか。
とりわけ、そこで一泊するとなったら、これらのことはとても重要だ。全然上手く行かなくてダメダメだったのが、その日の宿のサウナで一気に帳消しになることもあるし、逆に最高に楽しい1日を過ごしたあとで「さぁ、サウナで〆るか」と入ったサウナでどういう訳か気持ちが萎えてしまうこともある。申し訳ないが、レックスイン川崎は今日に限って後者だった。だが、考えてみれば、それだけのことといえばそれだけのことである。レコード屋で「掘り出し物かな?」と思ってDIGしたレコードが聴いてみたらあんまりイケてなかったりする、なんてことは日常茶飯事だ。
それに、視点を変えれば、
「いつかこういうムードになってしまう日があったら、レックスイン川崎があるよな」
「こんな気分のときは、レックスイン川崎くらいが丁度いいかもしれない」
なんて思う時が人生であったとして、その時はまた来ればいいだけのこと。

そのうち、自分の気分や好みに合わせてサウナ施設を選んで行くことができるように、いずれ私もなるんだろうな~とは思う。
いわゆるサウナソムリエ、とまでは行かないまでも、色んなところのサウナを味わい尽くしたらそれなりに知見も溜まってくるから、感覚的にその日その時の気分感情に最もヴァイブスが合うサウナを求めて「今日はあそこにしよう」という風に選べるようになってくるんだと思う。
今や私にとってKANAN SPAはホームサウナみたいなものだが、そうやって日常の中にサウナがある生活を送ってみると、サウナに通うのはクラブに通う感覚とあまり変わらないということに気がつく。
まずは黙って、その場所の音を聞く。
まずは黙って、その場所の熱を感じる。
全ては、そこから。

サウナとは元より小汚い空間であり続ける宿命を背負った場所である

レックスイン川崎のサウナは、実に、そして絶妙に、小汚い空間だった。

「うわぁ、小汚ぇとこだなあ、おい」と軽く引いてしまったくらいには、小汚かった。

どれくらいの男たちの汗を吸い込んでいるんだというくらいビッショリ濡れたサウナマット。
黒いシミがまた年季のある風情を出している壁板。
ふやけてガタが来ていて、踏むとちょっとせり上がってしまう床板。

蒸されながら、さながらここは、まるで熟成された赤ワインのようだな、と思った。

ちなみに、私はワインを滅多に買わない。
買うとしても、白ワインの辛口を好んで買う。
ワインには、白身魚のムニエルを添えて。
それが私の好み。
その意味では、赤ワインたるレックスイン川崎が口に合わないのは、ある意味仕方のないことだと思う。

その日の気分的にも、若干微妙だった。
サウナ前に日中過ごした人たちとの交流が、すこぶる楽しかったからである。
そういう日のサウナは、新し目の小ざっぱりとしたサウナで爽快に汗を流すのが相応しい気がする。
レックスインのサウナに漂っていたその時の空気は、とろんと淀みがあって、さながら疲れを抱えたサラリーマンたちの言いしれぬマイナスオーラが漂っているようでもあった。
多分、今日も沢山の男たちがここで汗を流して、退屈な日常に癒やしを見出しているに違いない。その日々を何年も何年も、ここでは繰り返してきたんだろうな。
そう感じさせる空間であった。要は、楽しい気分でテンションが上がっているときに来るサウナとはちょっと違った。

例えば、出張で東京に来たものの、芳しい進捗が得られなかったときに、
リモートで引きこもり生活が続いて、なんか気分転換したいけど、金のかかるのはちょっとなぁというときのショートトリップとして、
レックスイン川崎に来るなら最高かなと思う。

なんてったって、水風呂が絶妙な温度でキンッキンに冷えているのだ
すぐ近くにととのい椅子があって、そこではいくらでもだらしない格好ができるのだ。
そして、サウナはTV付き! 深夜ニュースのアナウンサーの声が、仕事帰りの退屈なムードに寄り添ってくれる。
何より、その絶妙に小汚い感じが、
「あぁ、悩みながら生きてんのって、自分だけじゃないのかもな」
なんてな希望まで、与えてくれるようだ。

あらゆるサウナは、小汚い。
いろんな人間の汗を吸って、いずれふやけて、こなれていく。
もちろん、それはサウナに入る前に身体を清めるだとか、サウナマットは定期的に交換するだとか、きれいな空間としてなるべく維持しようとする努力があってもなお、なのである。
そして、不思議なことだが、丁寧に丁寧に使い込まれたサウナは、空間に独特の風合いが出てくる。
特定の周波数、独特のヴァイブスを形成するようになる。
マナーが悪い客ばかりのサウナはそれなりのヴァイブスが生まれてしまうし、かと思えば、入っただけでマナーがいいサウナーが使い込んできたんだなというのを肌で感じられるサウナもある。

きれいはきたない
きたないはきれい

レックスイン川崎でサウナに蒸されながら、その言葉を繰り返し、味わうように頭の中で唱えていた。



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