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『当たり前の日常を手に入れるために』感想

私たちは「買われた」展盛岡の運営に関わった縁で、『当たり前の日常を手に入れるために −−性搾取社会を生きる私たちの闘い』(仁藤夢乃, 影書房, 2022)を手に入れて、読まさせていただいた。この記事では、私が読みながら印象を受けたことを記述することを通して、ささやかながらこの本に対する感想を述べていきたい。

少女であるというVulnerability(ヴァルネラビリティ)

夜間や休日は親が家にいるため外で過ごすことが多くなり、私は家に帰らなくなりました。そんなとき、声をかけてくるのは、買春者か、性搾取を目的とした業者だけでした。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.16

私は、日本で女子として生きていくのはデフォルトでものすごくリスクの高いことだと思っている。
だから、なぜ、日本社会は若年女性に特に力を入れて支援の手を差し伸べるべきなのか、と問われることがあったとしたら、私なら
とりわけ性虐待・性暴力被害・性搾取のリスクにおいて明らかに置かれている立ち位置が脆弱だからだ
と答える。同年代の若年男性と比較しても、明らかに

  • 父親や兄弟、親戚から性的虐待を受けるリスク

  • 電車で痴漢に狙われるリスク

  • 露出狂や路上レイプといった通り魔のターゲットにされるリスク

  • DVの被害者になりうるリスク

  • ストーカー被害に遭うリスク

  • 買春者や性搾取業者に声をかけられるリスク

他、まだまだ膨大な数の若年女性特有のリスクがあるからだ。
「夜道を一人で歩くことに不安を感じるか?」と道ゆく男女に声をかけて質問すればすぐにわかることだが、女性にとって夜道が怖いのは、単に暗いことで孤独感と恐怖心が煽られるからだけではなく、どんな暴力や搾取の魔の手が潜んでいるか分からないからでもある。
そして、夜道に潜む「恐いオジサン」「キモいオジサン」「アブないオジサン」からどう身を護るかは、自分で対処するしかないのが現状になってしまっている。対処できずに性暴力被害に遭ってしまっても、「そんな道を歩いているお前が悪いんだ」と言って突き放して助けもしないのが日本社会の現状であり、売春防止法の思考でもある。

私は生物学的に男性として生まれ、男性として育てられてしまったところがある。だから、若年女性の性被害について、かつてはどこか傍観者的な立場で見ていたところがあった。
だが、仁藤さんの前著『難民高校生』のこの箇所に触れて、私が生物学的に女性に生まれていたら、もっと複雑な困難を味わっていたかもしれない、と想像することがある。

電車で痴漢をされても、誰も助けてくれない。露出狂やストーカーに遭っても、自分でどうにかするしかない。大人は頼りにならない。自分の身は自分で守らなければならない。だけど、男に力では勝てない。男友達もどこまで信用していいのかわからないし、女友達にもいつ騙されるかわからない。私は、自分は「一人ぼっち」だと思うようになった。どんなに仲のよい友達も結局は他人。いつかいなくなるのなら近づかないでほしいと思い、誰も信用せずに一人でいることを選んだ。心の底では誰かにわかってほしかったけど、自分のつっぱった態度が周りとの関係を悪化させていることもわかっていたから、余計に寂しかった。

『難民高校生』p.60

また、同書のこの箇所に触れると、自分は「一人ぼっち」だ、と思うようになっていくメカニズムが鮮明に描かれていて、私自身胸が詰まる思いがする。

 当時の私は、「もしここで変わったとしても、自分が変わっただけではどうせ今の状況は変わらない」と思っていた。実際、子どもがそういう状況に陥ってしまうのには、少なからず周囲の大人たちのあり方が影響している。となると、大人たちが変わらなければ子どもは変われないはずなのだが、多くの大人は「ああしなさい、こうしなさい」と子どもにばかり変わることを求める。そういう大人たちの態度が、素直になったり自分を変えたりできるタイミングやチャンスが来ることを心のどこかで願っている子どもたちに、その隙を与えない。
 そうすると、子どもたち自身も自分に諦めを感じるようになってくる。「ダメな子」と思われている世界の中で、自分や周りを変えるよりも「ダメな子」として生きるほうがラクになり、「ダメな子」を自ら演じるようになる。本当に「ダメな子」なんて、潜在的には存在しない。「一人ではどうすることもできない」という行き場のない想いと、自分に対する大人たちの諦めの気持ちに助長され、子どもの大人に理解できない言動はエスカレートしていき、彼らは社会から逸脱したものと見なされるようになる。
 そして、家庭や学校で居場所を失くし、他に頼れる人もいない”難民高校生”が生まれる。

『難民高校生』p.40-41

私も、家庭や学校に居場所を持てなかったうちの一人、「一人ぼっち」だった人間の一人だ。
不登校にもなったし、家出のようなものを試みたことも一度や二度ではなかった。自分を「ダメな奴」と思って、劣等感に苛まれてもいた。
成人年齢を越える歳になってようやっと、あの時感じていたモヤモヤに「毒親」だとか「虐待」だとか「マルトリートメント」だとかいう言葉で、10代の頃味わっていた違和感や嫌だったことに名前をつけて、整理できるようになった。けれども、私が10代だった当時は、そんな言葉も知らなければ、仮に知ったとして自分ごとだと整理して理解するのも困難なことだった。
何より、自分のような人間の話を聞いてくれる大人がいることを、信じることができなかった。学校や家、その他の場所では、子どもというだけで、どこか下に見ているような目線を放つ大人たちしか知らなかった。対等に接してくれる大人はどこにもいなかった。田舎であれば特にそうだった。
そんな私に、これまでの人生の中で「カラダを売れ」と誘ってくる業者が一個もなく、そういう業者に出会うこともなかったことは、果たして幸いなことだったのだろうか。
今年のニュースで、「パパ活していた女装男子」が殺害されたという知らせを聞いた。

私としては「女装した男子」という表現にモヤモヤしてならないが、それはそれとしても、買春しようとする男たちの暴力・搾取の魔の手は決してシスジェンダー女性だけでなくトランスジェンダー女性に対しても伸びていることを思うと、私自身他人事ではない。
ちなみに、上のツイートで大島薫は「サポ(援交)」が「もっと増える」ことを一見肯定も否定もしていないように見せているが、それは結局現状の容認に終わっていることでしかなく、悲しみを覚える。殺害される「女装男子」がこれ以上増えないために何をすべきなのかを考えたとき、この国の買春文化は危険過ぎるし、それを黙認する現在の法制度・福祉の支援体制は即刻改めるべきだと、私には思われてならないのだが。
さて、では、Vulnerabilityを抱えた若い女性たち(シス・トランス問わず)が虐待や性暴力、性搾取に遭ったり、殺されたりしないために、どういったことが必要なのだろうか。

×支援 ○仲間

私たちは、創設時から、女の子たちを「支援対象」としてではなく、共に声をあげ、社会をつくる主体であり、仲間と考えてきました。支援する/される関係ではなく、共にあることを大切にし、一人ひとりの主体性を尊重しながら、共に歩き、共に道をつくってきました。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.24

私は某相談支援機関の電話相談員をやっている。ゴリゴリの福祉の「支援」者だ。
そういう身だからこそ、悩める若年女性たちと「仲間」として「共にある」かどうかを問われると、とても耳が痛いと感じる。
私自身、10代、20代の女性の相談に乗ることも少なくない。ある女性は家に居場所がなくて、ある女性は精神疾患を抱えて、ある女性は希死念慮を抱えて、ある女性はセクシュアリティにまつわる違和を抱えて、ある女性は暴力被害を訴えて……
そういう職場ではある。ただ、正直言って「仕事」として関わる限界とジレンマを抱えながら、相手をすることがほとんどだ。他の相談者の電話対応にも追われる関係上、せいぜい1時間を超えない程度の相談対応の時間で、しかも電話というツールだけで、出来ることはどだい限られてしまう。気持ちを整理したり、一緒にどうすればいいか考えたりすることくらいは、少なくとも、悩みを最後まで聞き届けてあげることはできるかもしれない。

それでも、あなたと共にあるよ、という言葉を届けることが、どこか難しく感じてしまう自分がいる。
できれば、私だって面と向かって「あなたの仲間になる」と言いたい、一歩踏み出したい、はずなのに、いつの間にか足がすくんでしまっている。

それは、シス女性じゃないからとか、若くないいい年した「大人」になってしまったからとか、そういうんじゃない。
あるいは、福祉の玄人めいた向きからは、継続支援の仕事がしたいんじゃないのとか、対面で支援がしたいんじゃないのとか、思われるかもしれないけど残念ながらそういうんでもない。
単純に、良くも悪くも今の仕事を通して、私は現状の福祉のあり方、「支援」という言葉やそれらが内包する独特の権力・立場・感性に慣れ親しんでしまっていて、疑問を持たなくなってしまっているのだろうと思う。

私は「支援らしさ」を出したくなかったため、「シェルター」という言葉を使うかどうか、悩んでいました。こういう言葉一つに違和感を持てる人であるかどうか、それはこうした活動に関わる上で大切なことだと思っています。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.25

私は、率直に言って「シェルター」という言葉に違和感も疑問も持ったことがなかった。
この本を読んで初めて、気付かされて、疑問を持った。
そして、思い知らされた。
私が「仕事」でやっていることは、向こう側からしたら随分、常に既に”上から目線”であったことに。
そのつもりがあろうとなかろうと、福祉を「仕事」でやっている以上、結局は相手に寄り添うと言ったところで欺瞞に陥るし、仲間になること、共にあるということも極めて困難になるということに。
ひとたび「支援」という言葉を内面化して、「支援する」ことに慣れてしまえば、自分から「当事者性」「対等性」「自分ごととして受け止める感性」は失われていってしまうのだということに。
『当たり前の日常を手に入れるために』では、Colaboの活動は「当事者運動」なのだということが繰り返し繰り返し書かれている。
その意味を噛み締めながら、今しばらく印象に残った言葉を拾っていきたい。

福祉はヤクザのきめ細やかさに勝てるか?

(奥田:)私たち抱樸は2000年あたりから「伴走型支援」が必要だと言っていて、その話をしたときに、仁藤さんが「ヤクザのほうがよっぽど伴走型だ」と話していたのが印象的でした。そこには居場所や食いぶちがあったり、女の子を囲って働かせるにしても、店で一つのトラブルが起こると、本人に合わせて他の店にさっと移動させたりする。あのきめ細やかさに、はたして支援者たちは勝てるだろうか、と話していました。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.219

勝てないと思う。というより、勝ち負け以前に、この国の福祉はそもそも、きめ細やかさや柔軟さを意識した制度設計のもとに成り立っていない
この国の福祉は縦割り行政による縦割りの福祉だ。そのことは、私のしている電話相談員の研修でも口酸っぱく教わるし、それはおそらく福祉の大学や専門学校の授業でも口酸っぱく問題視して教えられるトピックだろうと思う。
常に、声が大きくなった時にようやく問題に気づいて、それから対処法のように法律を整備して、それからようやっと専門の相談支援機関が立ち上がる。世の中の情勢を先読みして、予防も兼ねて先手を打って手を回す、ということができない。この国の福祉制度の歴史はそういうことの繰り返しの歴史だったし、今もなお現在進行形でそう言った事態を繰り返しているわけだ。
そして、相談支援機関を作ったはいいが、基本は「待ってるだけ」「向こうからアクションがない限り、こちらから会いに行かない」、そして、たらい回し(「そのお悩みでしたら、女性センターに相談してみてはいかがでしょうか、専門の相談員が……」「つらかったですね。そのお気持ち、精神保健福祉センターでも聴いてもらえると思いますよ、専門の相談員が……」)。
仕事で福祉に関わるということは、こういうことか、と今の電話相談員の仕事でつくづく思い知らされるようになった。
伴走してなどいない。そもそも、隣にいない。会いにもこない。だから、向こうからすれば会いに行きたくもないし、会いにいく価値もない。
働いている身からすれば、ミイラ取りがミイラにならずに済む。相談者の人生に自分のプライベートや心身の健康まで犠牲にしなくて済む。労働と割り切って相談者と付き合えれば、生計も立つし悪くない。そう考えられる。ラクなのである。
ただ、上手く言えないけど何か人間として大事な姿勢が、どこかに置き去りになったような、そういう感覚がする
もちろん、人を支援するということは重労働だ。様々な問題を抱えた相談者の相手をするのは、とにかく感情を酷使する。感情労働というやつだ。人の相談に何度も乗る身になれば、相手がどんなトリガーによって精神的に不安になったり怒り出したりしないかといったことに敏感になり、特有の嗅覚が働くようになる。さながら、地雷が沢山埋まっている戦場を重たい銃を携えて行軍する兵士の気分にさせられる。冗談でなく時々、生きた心地がしない気分を覚えるケースさえある。
ただ、こうも思う。なぜ、私の感情は酷使されなければならないのか
”共に歩む仲間”なら、一緒に泣いたり笑ったりすることもあるだろうけど、もちろん、ケンカするときもあっていいと思うのだ。その代わり、深く相手に交わることができたらそれなりに感動も得られるし、何より感情が酷使されることがない。むしろ癒されることすらある。
ところが「支援者−利用者」の関係になった途端、ケンカは良くないぞ、どころか、ケンカしては絶対にいけない、という話になる。それだけでなく、深入りしてもいけない、特定の立場に肩入れし過ぎてもいけない……支援者は結構、いけない尽くしなのである。適度に関心を向けてあげて、適度に距離を保って、適度に自分と相手の境界を保ちつつ、適度に自分の感情やメンタルを守って接する。まるで、ライオットシールドを構えた特殊警備隊か爆弾処理班か何かにでもなったような感じがする。

引用:https://jp-swat.com/equipment/ballistic_shield/index.html

そんなんで、伴走できるのか。
そんなんで、相手も伴走してくれていると、思ってくれるだろうか。

一緒にもがくよ

(仁藤:)「その子の人生だから」って、児相の職員や、「仕事」としてやっている支援者たちも言うことがあるけど、それがその子を切り捨てるためのセリフとして使われたり、大人や支援機関が、自分たちに都合よく、その子を支援しない言い訳として「子どもの意思を尊重」ということもよくあるよね。
 Colaboは、その子が自分の人生を歩めるように、「一緒にもがくよ」みたいな感じ。そういう想いは、Colaboに来る前からあったの?
森川:そうだね。あったと思う。
仁藤:「仕事」としてやっている人と女の子たちがColaboで感じる人とのちがいは、そういうところかもしれないね。一人の人として、関わろうとしているかどうか。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.298

一緒にもがくよ。
私自身、10代の頃にそう言ってくれる誰かがいたら随分心が楽になったと思う。

今、言える大人になっているだろうか。
正直、自信がない。

電話相談員をしていて、仕事で相談件数をただこなしていく中で、何か人間として大事な姿勢が失われて、何か大切にしたい感覚が麻痺していくかのような感覚を覚えるとき、私は「一緒にもがくよ」と言えなくなっていく自分を感じるのだ。
話を聞きはするけれど、相談に乗れない、寄り添えない相談者も、正直いる。電話を切った後で、これでよかったのかな、下手したら死んでしまうかもしれないな、と思う相談もあった。何より、そもそも話を聞いていられないし、そもそも対話自体が困難すぎて手に負えない相談者の相談も沢山経験した。
一緒にもがけなかったし、”一緒”にすら、なれなかった。

自分の寛容性が、常に試されてきた。
寛容性を試されるのは、逃げたくなるほど、とても、つらいことだ。
児相職員が「その子の人生だから」と平気で突き放すさまがあったとして、私は不思議でもなんでもないように思ってしまう。
それだけ、自分が他者に不寛容だと認めてしまえば、そこに居直ることができれば、その方がある意味ラクなのだから。
「仕事」が務まるのだから。
今以上に寛容であろうとメンタルや感情を酷使しなくて済むのだから。
そう、他者に不寛容でいること、「その人の意思を尊重」して敬して遠ざけること、突き放すことは、とってもラクなのだ。
だからこそ、そもそもなんで相手の出方次第でこちらの寛容性がいちいち試されなければならないのかを問わなければならない。

私は人生の中で、あまり「一緒にもがく」ということをやったことがない。
だから、合っているのか間違っているのかわからないなりに、「一緒にもがく」ってどういうことだろうと考えてみる。
多分、「寛容性」とかどうでもいいんだろうなと、思う。
一緒にもがくのに、自分が相手に寛容な態度を示せるかどうかなんて、割とどうでもいいのだと思う。
相手と共通点がどこまであるか、というのも、どうでもいいんだろうと思う。
共感すらできなくても、いいんだろうと思う。
一緒にもがきたいかどうか、究極それだけなのだと思う。
もっと言えば、対立や失敗や関係に亀裂が入ることを恐れなくていいと思えるかどうかだと思う。
「仕事」だとそうはいかない。
ミスは怖い。
これまで支援してこれた相手との関係に亀裂が入ることは、もっと怖い。
ミスや亀裂が仕事の評価に反映されて、最悪首を切られてしまうかもしれないと思うことは、もっともっともっと怖い。
一緒にもがいている、なんて言ったら、馬鹿にされるかもしれない。
「相手に入れ込みすぎだ、やめとけ」と諌められるかもしれない。
でなければ「そんな未熟で幼稚なマネをして何になる、やめとけ」と釘を刺されるだけかもしれない。
でも、相談にやってくる人間が相談相手に期待する態度の中で、最も誠実で、救われた気分になる態度は、まさに「一緒にもがくよ」という姿勢なのだろう。
だからこそ、上司の前では一緒にもがいているなどとは言わず、相談者を前にしているときだけ、精一杯、一緒にもがこうとする。
ところが、福祉を「仕事」でやっている以上、一緒にもがく「フリ」だけは上手にできても、心底一緒にもがこうとする態度を示すことは、出来なくなってしまう
仲間だと思えないと、自分も相手の悩みの当事者だと思えないと、共に歩み共に生きていく大事な人と思えないと、もがくフリはできても、本当の意味でもがく姿勢は示せない。
だからこそ、困っている相手と一緒にもがこうとするなら、必ず仲間として、同じ当事者であるという主体性を持って、関わっていかなければいけない。

当事者主体という中核部分

川村:研修で「子どもが権利の主体である」、「保護を求めるのは子どもの権利である」というような基本スタンスを伝えるのは(中略)私はすごく重要だと思っています。Colaboのみんなはそのスタンスを共有して、実現してくれています。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.109

(仁藤:)女の子たちのインタビューで、Colaboの活動のどこに他とのちがいを感じているのか話してくれたことを分析して、例えば「食卓を囲むことを大切にしていて、それは相談のハードルを下げる」とか「最初に女の子と会うときは、話を面談室でなくてカフェですると打ち解けやすい」などと、ノウハウとして切り取ることもできると思います。でも、Colaboのように当事者主体で活動するということを「支援」したい大人がつくろうとしても、それはできません。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.207-208

この世のあらゆる大人の女性は、一度は「若年女性」だったはずだ。
それは、日本でも同じく言えることだ。
だが、日本に住む女性のうちどれだけの数の人が、若年女性が抱える悩みの当事者であるかどうかについて言うと、全ての女性が当事者だ、とも言い切れない現実がありそうだ。
果たして、当事者であるとはどういうことなのだろうか。

私は、当事者かどうかというのは、人生経験や境遇の問題というより、ほとんど生き方の問題、生きる態度を明確な立場として社会に示せるかどうかという政治的な問題だと思う。
私は、かつて「若年男性」だった、などと自分のことを思っていない。
「若年男性」の抱える悩みの当事者だった、などということで何かを主張したり、啓発活動をしたりしたいとも、思わない。
無論私には、「若年男性」のカテゴリーに入れられていた期間が人生の中であり、他人から見れば「若年男性」特有だなぁと思うような悩みを悩んだことがあった。それはそれで、事実だ。
だが、当事者と思ったことは一度もない。
その代わり、でもないけれど、私は現在、トランスジェンダー当事者だ。
「女装男子」ではなく、MtXトランスジェンダー、Xジェンダー・ノンバイナリー当事者だ。
30代に入ってから名乗り出した性自認ではあるけれど、これに関しては当事者である自分を誇りに思っているし、Xジェンダーに関連する出来事に対しては当事者性を強く感じている。
だが、しつこいようだけれど、私が「若年男性」のカテゴリーに埋没していた10代・20代の頃は、もちろん「Xジェンダー・ノンバイナリー」なんて言葉も知らなかったから、当事者性はなかったし、Xジェンダー・ノンバイナリーの悩みなんて自分の課題にすらならなかった。これも、事実なのだ。
何が変わったかと言われたら、生きる態度と生き方そのものだと思う。
「当事者として生きていく」と腹を括って決めた瞬間から、そこにプライドが生まれ、そこに主張したい権利が生まれ、そして権利獲得のための闘争が始まる。その意味で、「当事者」を名乗ることは極めて政治的なことである。
そして、当事者を名乗ったそのときに、これまでに人生で経験してきた苦悩・困難は、単なる特殊な境遇による災難であることをやめて、権利獲得のための武器になり、声を発する原動力になり、人とつながるための架け橋になってくれる。

そういう体感が、私にはある。
同じことを、発達障害当事者、双極性障害当事者、生活保護当事者、引きこもり経験者としての私自身に感じることがある。

そして、何より、「当事者」という政治性を帯びて権利獲得のためのアクションを起こすということは、ものすごくエネルギーが要る、パワフルなことである。
だから、仲間が要る。
仲間と一緒にもがく。
権利獲得のために。
自分たちが権利の主体であると宣言するために。

「支援」という言葉では、それが掻き消えてしまうことがある。
本来「支援」というのは、権利擁護のためにあるものだ。
「子どもの支援」と言ったとき、それは第一に「子どもの権利の擁護」を意味しなければならなかったはずだ。
それが日本ではほとんど形骸化している。なぜか。
どいつもこいつも「政治性」なんて帯びたくない、ノンポリのまま、のほほんと暮らしていたい人間共による、クソみたいな民主主義(笑)的政権運営に堕落しているのが日本社会だからである。
失敬、口調荒く言うのを許してほしい。
こちらも、あえて煽っているのだ。煽らないとやってられないのだ。
だって、当事者性が欠落していると言うことは、それだけ既得権益に満足していることと同じだし、誰かから「あなたたちに権利を認められていない」と糾弾されても無視できる程度には、マジョリティの側にいるのと同じことだから。
端的に言って、当事者性が欠落していて、政治性を持つことを毛嫌いする国民性を持っている私たちが、「支援が大事」だなんだと言うのは、どだいちゃんちゃらおかしな事だ。そう思わないだろうか?
何度でも繰り返すが、「支援」は本来権利を守るための現実的具体的な働きかけであり、闘いなのだ。
権利が守られない現状を見過ごしていいはずがないのだ。
権利の侵害を見過ごせないのが「支援者」という人間なのだ。
政府に対して声を上げて、未だ認められていない権利を認めるように要求し続けることも本来の「支援者」の仕事であるはずなのだ。
福祉領域で「支援者」として携わる人間で、どれだけの人間がそれを意識的にやっているだろうか。
そうでなくとも、一般の人で
「政治なんてキライ」
「政治の話とか興味ないから勘弁してほしいよな」
「どうせ世の中変わんないよ」
と愚痴っている声を聞くと、私は先に「少女であるというVulnerability」のところで引用した『難民高校生』の「難民高校生」が生まれるメカニズムの話を思い出してしまう。

繰り返すが、日本に住む大人の女性で、かつて「若年女性」でなかった人は一人もいない。
だが、「若年女性」が抱える困難を当事者として引き受けて、権利獲得のために闘うべく立ち上がろうとする女性は、そんなに多くない。
闘わない、一緒にもがこうとしない女性たちは、決して現状に甘んじているわけでもないだろう。むしろ、そもそも知識がなくて何が問題なのか理解や整理ができなかったり、過去の暴力の傷を深く抱えていて立ち上がれなかったり、立ちあがろうとしたけど仲間が見つからなくて挫折したり、そういった女性たちが多くいるのだと思う。そういう人に対してまで、「今すぐ立ち上がれ!」と勇ましい檄を飛ばす気にはならない。
私だって、この本を読むことでやっと「あなた、立ち上がれるなら立ち上がってみなさいよ!」と檄を飛ばされたばかりの、若年女性のために立ちあがろうとしてこなかった人間の一人だったのだから。

だが、立ち上がることは当然、いいことだけじゃない。
皆が座っている中で急に立ち上がる人間がいたら、どうか。
目立つ。
皆の注目を浴びる。
その注目の中には、厳しく立ち上がった人間を試すような目線を送る人間も当然いる。
隙あらば叩こうとする人間の、試すような眼差しに晒される。
だからこそ、立ち上がったら最後、どこまで自分と向き合えるか

加害者性・権力と向き合う

仁藤:上からつくったネットワークや支援では、女の子たちと対等に議論したり、活動することは無理なので、女の子たちと議論したいと思うなら、まず大人たちが自身のしてきたことを自覚して、自身の加害者性や権力性をどう乗りこえるのかを真剣に考えて、変わろうとする姿勢を見せないと無理だと思います。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.215

性搾取の業者も買春男も、困っている子たちを街でもSNSでも探し、出会おうとしています。それが大事だとわかっているし、つながるために本気だからですよね。福祉の大人たちには、それがない。
 なおちゃんやももちゃんは「痛い目をみないとわかんなかった」と言っていましたが、痛い目をみさせる男や大人の問題ですよね。鼻を利かせないと良い大人に出会えないし、鼻を利かせたくても、その基盤になるような良い大人の見本や対等な関係性、尊重された経験がなかったら、わからないと思うんです。
 大人たち自身が信頼してもらえるように、変わっていかないといけないと思います。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.217

「女の子たちと議論したいと思うなら、まず大人たちが自身のしてきたことを自覚して、自身の加害者性や権力性をどう乗りこえるのかを真剣に考えて、変わろうとする姿勢を見せないと無理だと思います。」
正論だ。

大人たち自身が信頼してもらえるように、変わっていかないといけないと思います。」
正論と思う。

だからこそ、大人の一人として、実感していることを話させてほしい。
自分と向き合い、変わっていこうとする。
この単純なことが、年を重ね、知識を蓄えていくほどに、どんどん難しくなっているのだ。

自分と向き合う時間が少ないから、などという言い訳はしない。自己反省は割としている方だし、それだけ自分と向き合う時間を取れるだけ取ろうとしている。
それなりの社会的立場があって、そこに安住していたいから。そうかもしれない。だが、私はどちらかと言うと変化するのが大好きだ。変わっていこうとする努力も人並み以上にしている方だと思うし、そんな私だからこの本を手に取って感想をnoteに書こうということもしているのだと思う。
問題は、どれだけ自分と向き合っても、変わろうと努力しても、向き合う方向性がずれてしまったり、自己弁護したりして、結局のところ大して変われなくなっていくのだ

だから、立ちあがろうとするなら、まず忖度なく自分のことを評価してくれる誰かが仲間であり味方になってくれる方が絶対、いい
もちろん、それも望めない場合もある。だったらせめて、人の批判や批評を「有り難い」と受け取れる方が、変化や成長は早い
そして、常に「対等」に付き合えたかどうか確認する癖をつける
私はそう心がけるようにしている。

さて、ようやく本の感想も終盤を迎えた。
私は、この本を通して、Colaboの活動に触れることを通して、何を学ぼうとしているのだろう。
たぶん私は、共に闘う、という姿勢を学びたがっているんじゃないだろうか。

共に闘う、という姿勢

女の子たちと沖縄に合宿に行って、辺野古の新基地建設の問題に声をあげている方々と出会ったり、若い女性が米兵にレイプされ殺害された場所に慰霊に行って、支配や暴力の構造について考えたり、「慰安婦」にされた女性たちの写真展を見に行ったことから「私たちは『買われた』展」が始まったり、そういう活動が本来のColaboの活動なのですが、あまりにも世の中の「支援」がひどいので、虐待や性搾取などの深刻な被害に遭う前の段階の女の子たちに必要とされる中で、「支援」らしいこともやり続けてきた結果がいまの形です。

『当たり前の日常を手に入れるために』p.210-211

私たちは『買われた』展をきっかけに、私はColaboという団体を知り、10代の女性たちが買春者によって性搾取されている現実を知るようになった。

展示を一通り眺めて、私は怒りだけでなく悲しみを覚えた。こういうことが日常的に繰り返されているこの国の買春文化は狂っているように思った。この現実を早急に変えるために、何が必要なのかを私なりに考え続けていきたいと思った。
また、展示のほとんどがシス女性と思われる少女たちの声だったが、もちろん、声にまだなっていないだけで、トランス女性の少女たちもまた買春する男たちによって搾取される現実があると思っている。シス・トランス問わず、性虐待・性暴力・性搾取に遭わないで済むような世の中になるために何が必要なのか、自分なりにアクションを起こしたいと思うようになった。

私は、誰と共に、闘おうとしているだろうか。
私は、共に闘ってくれる人と、どのようにして出会おうとしているのか。

まとめ:少女たちと大人が対等になるとき

少女たちと大人が対等になる時がくる。
私はそう信じている。

いつ来るのかはまだわからない。
2030年より前に訪れるように努力したいとは思う。

今の電話相談員の仕事は、そのうち辞めるかもしれない。
福祉や支援という「仕事」に慣れ過ぎてはいけないと感じているからだ。

それよりも、一人の人間として私にできることにチャレンジしてみたい。

『当たり前の日常を手に入れるために』の上に両手を重ね置きながら、私のしたいこと、しなければならないこと、できることを考える。

私たちは、同じ空の下でつながっている。
一緒に、生きよう。
一緒に、もがこう。

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