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あと、野球の歴史で

意味不明なのが、

(1)中世ヨーロッパでは杭、石、のちに家畜の膀胱等でバット系球技をやっていた。野球というより、氷上ではないアイスホッケーのような感じで、危ないというか死傷者が出る遊戯だったが、かなり人気があった。←既に、は!?
語弊を恐れずに述べれば、ここから(直接そのスポーツになったかは別としても)サッカー、ラグビー、クリケット、ベースボール(といった名称ではまだないが、そ)のような方向性へとスポーツのルールが分化した。
(2)18世紀にはベースボールに似た遊戯がアメリカで流行ってきて、1791年には「BASEBALL」という言葉が登場。1838年のカナダだとか1839年のニューヨークだとか諸説あるが、とにかく19世紀前半に現在のベースボールの直接の原型が誕生。但し、当初は打者が投手へコースを要求できたり、そもそも下手投げかつ手首のスナップをきかせちゃダメだったり、今ではフォアボール(四球)で一塁へ行くが当時はナインボール(九球!?)だったり、ワンバウンドでも捕球されたらアウトだったり……!?
(3)1871年、ホーレス=ウィルソンさんが(今でいう)東大に英語教師として来日し、ベースボールまたは「打球おにごっこ」(!?)という名前で東大から全国に流行る。
(4)正岡子規(東大生)が、自分の幼名(幼い頃の本名)の「昇(のぼる)」に因んで、雅号(俳句や短歌のペンネーム)の一つに「野球(のぼーる)」を使い始める。なおこの時、まだベースボールは野球と訳されていない。←は!?
(5)1894年に中馬庚(ちゅうまん かなえ/東大生)が卒業記念の部誌にて、ベースボールを「Ball in the field-野球」と訳す。←お、おう。
(6)中馬庚と正岡子規が面識があったかどうかは不明←は!? だが、二人とも野球に滅茶苦茶熱中して、広めた。
ベースボールを「野球」と訳したのは中馬庚で、他にもショートを遊撃手と言うようになったのも中馬庚の影響(戦列で待機する遊軍やから! みたいなことを言った。)。
一方、正岡子規の翻訳の功績も大きく、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」等は正岡子規によるもの。勿論、二人に限らず、全ての翻訳が例外無く公式扱いされたわけではなく、地域差等色々あって、例えば正岡子規の翻訳だとポジションはそれぞれ、

投者
攫者
第一基人
第二基人
第三基人
短遮
場右
場中
場左

だった。また、野球関係の短歌も多く、「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打ち騒ぐかな」などがある。(お、満塁の短歌やんけ。Twitterかな?)
(7)野球には関係ないが(!?)「咳をしても一人」は尾崎放哉(おざきほうさい、1885-1926)で、正岡子規(1867-1902)より結構年下で、俳句も自由律俳句なので全く流派が違う。
……で、この自由律俳句というやつがまた意味不明で、

墓のうらに廻る

足のうら洗えば白くなる

肉がやせてくる太い骨である

いれものがない両手でうける

こんなよい月を一人で見て寝る

一人の道が暮れて来た

すばらしい乳房だ蚊が居る

などだ。(!?)
でも、尾崎放哉も東大出身で、しかも法学部だ。(!?)
東大の高校部時代には尾崎放哉は正岡子規の親友の夏目漱石の英語の授業を受けており、漱石に傾倒している。(!?)

って感じやわ!
意味不明というか、まあ……はい(笑) って感じやわ!

あとは「ボークの発生条件」とか、「この場面ではヘッドスライディングと普通のスライディングのどっちをすればいいの!?」とか、「ガチンコで延長戦や再試合で引き分けが続いたら甲子園とかって永遠にやるの!?」とか、プロ野球だったら「そのトレードだのFA宣言だのって、よく考えたらおかしくない!? 人的保障て、え?」とか、まあいろいろあるが……まあ知らん!

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