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平和とは

こんにちは。Nonです。

お久しぶりです。そして、明けましておめでとうございます(激遅)。

早速飽き性なのがばれてしまいました……ま、マイペースだと思っていただければ幸いです……。

さて、今年の新年早々物騒でしたね……。

地震は起きるわ、津波は起きるわ、飛行機は炎上して、電車内で傷害事件が起こるわ……大丈夫か2024。

流石に、今年のお正月は平和とは言えなかったな……。

というわけで、今回は「平和」について少し考えてみようと思います。

よろしければ、皆さんも一緒に考えていただけると嬉しいです。



(能登半島沖地震で被災された方、及び元旦の事故や事件で被害を受けた方に、心よりお見舞い申し上げます。)



そもそも「平和」とは何なのでしょうか。

戦争や差別が起こらないことが平和でしょうか。

あるネット掲示板の書き込みを見て、少し考えたことがあります。

その内容は、「10億円か、世界から差別と戦争が無くなるか」。どちらを選ぶか、というものです。

私なら、別に善人振るつもりもなく、普通に世界から差別と戦争を無くす方を選ぶのですが……。

そこでふと、思ってしまったのです。

「仮に世界から戦争や差別が無くなったとて、世界の人々が幸せを感じ、平和になることは無いのでは?」と。

だってそうですよね。世界には、戦争や差別だけでなく、飢餓や病気、貧困などで苦しんでいる人もいるのですから。

だったら、そんな負の要素を世界中から取り除けば良いのでは?

……多分、それでは駄目なのです。残念ながら、この世界には、そうやって負の感情を生業としている人がいるのですから。

極端ですが、もし戦争がなくなったら、武器を作っていた人は、職が無くなるでしょう。もしそうなったら、その人にとって「幸せ」では無いはずです。

そう考えると、やはり世界が「平和」になることは不可能ではないのかと思います。

人々は争う生き物です。その規模が国同士なのか、それとも個々の喧嘩なのかは違いますが。

何千年、何憶年と争ってきたのです。今さら無理でしょう。

ですが、それでもやはり、人が死ぬような争いは良くないと思うのです。


世界中の人々が平和を手にすることは出来ません。人によって、平和の尺度は、きっと違うでしょうから。

全ての人を救うことは出来ません。救う側の人にも、大切なものがありますから、他人にばかり時間をかけていられないでしょう。

誰にだって、「幸せになれる権利」、「平和でいられる権利」を得るチャンスや機会はありますが、それを手に入れられるのは、全員ではありません。

結局平和も、誰かが犠牲にならないと、得ることの出来ないものなのでしょうか。

そう考えると、少し悲しくなってきます。

皆さんはどう思いますか?

もしよろしければ、ご意見・ご感想くださると嬉しいです。

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