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「カエシテ」 第26話

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 新潟へ出発する日の朝、加瀨は久し振りにアミの店で朝食を取ることにした。最近は福沢の件や仕事も多忙で寄る時間が取れていなかったため、来店は久しぶりだ。
「あらっ、いらっしゃい」
 年季の入った戸を引くと、アキは笑顔で出迎えてくれた。
「今日のオススメは何」
 いつもと変わらない接し方に安堵しながら加瀨は真ん中の席に座った。店の奥に設置されているテレビでは、朝の情報番組が流れている。現在は野球選手の年棒の話題が取り上げられている。個人情報保護が制定されて何年も経つが、プロ野球選手の年棒だけは何故か、マスコミで大々的に発表され続けている。
「今日は肉じゃががオススメよ。昨日から煮込んでいるから、味が染みて美味しいわよ」
 鍋に目を向けながらアミは自信を持って勧めてきた。
「そうなの。そこまで言うのなら肉じゃがにするよ」
 加瀨は即決した。それほどアミの腕を信じていると言うことだ。
「ありがとう」
 笑顔を見せるとアミはすぐに皿によそっていく。肉じゃがであれば、大半は皿によそっていくだけで済む。アミとしても楽なメニューだった。
「はい、お待たせ」
 五分足らずで肉じゃが定食を完成させると、アミは加瀨にお盆を差し出した。
「ありがとう。早いね」
 携帯を見ていた加瀨は、お盆を受け取った。肉じゃがをメインにおひたしや味噌汁にご飯が付いている。朝にしてはボリューム満点だ。そう思いながらも加瀨は、テーブルから箸を取ると、肉じゃがを口に運んでいく。
「おぅ、本当に味が染みているね。これはうまいや」
 一口目で満足したらしく、加瀨は次々と口に運んでいく。
「ありがとう。それは嬉しいわ」
 カウンターの中でアミは目を細めている。
「そう言えば、読んだわよ。加瀨さんの作っている雑誌。『月刊ホラー』」
 彼女はその後で、打ち明け話でもするように顔を近づけてきた。
「本当に。ありがとう」
 食事の手を止め、加瀨は礼を言った。アミがあの手の話に興味があるとは聞いていなかったため、驚きが強かった。
「私は別にああいう話が好きというわけじゃないんだけどさ。掲載している話はどれも読み応えがあるわよね。時間を忘れるくらい没頭しちゃったから。あの話は全部、加瀨さんがまとめているの」
 アキは興味深そうに聞いてきた。
「あぁ、そうだよ」
 何でもないと言う顔で加瀨は味噌汁を啜った。今朝は豆腐と若布の味噌汁だ。
「そうなんだ。それは大変ね。取材にも行くわけでしょうから。疲れるわよね。タフじゃないと務まらない仕事ね」
 アミは妙な納得の仕方をしている。外では、新聞配達のバイクが悲鳴に近い音を出して走り去っていく。
「でもさ。ああいう話って、どうやって見つけてくるの。やっぱりネットに出て来る話は使わないんでしょ。読者の中に知っている人がいるかもしれないから」
「うん、それは使わないよ。うちは基本的に、読者から募集しているからね。送ってくれる人がたくさんいるんだ。その中から絞り込むわけ」
 他にもオフ会やSNSを駆使していたが、加瀨はあえて伏せておいた。いくらアミと言えども、会社の手口を全てさらし出すつもりはなかった。
「そうなんだ。人気のある雑誌みたいだから、たくさん送られてくるんでしょうね」
「うん、少ないとは言えないね。毎月、スタッフで会議を開いて、選んでいくから大変だよ。意見は割れるし」
 はぐらかしたことを隠すかのように加瀨はご飯を掻き込んでいく。
「そうなのね。それなら、本当に大変なのね。私は今回買ってすっかりハマっちゃったからさ。また次号も買うわよ」
 現場の苦労を知ったせいか、アミは嬉しいことを言ってくれた。
「ありがとう」
 新たな読者を獲得したことで、加瀨は笑顔を見せた。身近に購買者がいれば、感想や意見が直に聞けるため、記事を書いている人間からすればプラスになる。
「いいのよ。そんなことは」
 アミは笑顔を見せたものの、客が入ってきたため、すぐに調理に取り掛かった。
(こうやって、読者が少しずつ増えていくわけだな)
 加瀨はそんなことを考えながら定食を平らげると、店を後にした。


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