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原体験って

ビジョナリーな企業家は明確な原体験を持っている、という。

先日、「原体験ワークショップ」というものに参加した。原体験を再確認することで会社のビジョンやミッションを明確にしようという取り組みだ。

以前アプリを企画した際に、「そういう原体験が大事なんですよっ」とSoftBankさんに言われたが、「そうですか〜」と言いつつ「???何それ?」だった。Google先生に聞いてみると、原体験とは「記憶の奥底にいつまでも残り、その人が何らかの形でこだわり続けることになる幼少期の体験」だそうな。人生で山や谷を味わった経験、とも書かれていた。

脳科学的に、脳は「学んだ」ということがいきなり「快体験」にはならない。何かできた!というとき周りのポジティブな評価により喜ぶことで「こうすればこうなる」ということを何度も繰り返し刷り込まれ「快体験」を得ようと行動するようになる。

また、結果うまくいき、「快体験」につながったがその途中で苦労や挫折があったな〜ということと成功した快体験が同時発火し脳内で紐づくと苦労や挫折をを含めての快体験を作ることができる。これを繰り返すことで折れない心が作られるという。

人生は山や谷の連続じゃないだろうか?成功体験と挫折を繰り返しているような気がする。

ワークショップを通じて、ワタシの原体験について考えた。人生の感情曲線なるものを書き、幼少期からの嫌だった体験・よかった体験を曲線にして書き出していく。

まず、あまり小さい頃の記憶がないけど(笑)

ただ、断片的に覚えているのは親離れできず幼稚園でいつも泣いていたこと、こだわりが強くいとこの家の玄関の上に飾ってあった天狗のお面的なヤツが怖すぎて家の中に入れなかったこと、小学校に入ってからはトイレが怖く低学年の時には1日ほとんどトイレに行かなかったこと、給食が全く食べれずに昼休みは「食べるまで遊んじゃだめ」とずっと残されていたこと、めんどくさい子どもだったのだろう支援学級に遊びに行ってこいと先生に言われたこと、ドッジボールでボールが怖くてずっと逃げ回っていたら最後の一人に残ってしまい最終的に当てられる→クラスメイトに「あ〜あ」と落胆される(いやいやお前ら先に当たったろ!)幼稚園〜小学生くらいまでで数え切れないくらいの学校での嫌な思い出が盛り沢山だ。家の外の世界でワタシを助けてくれる大人はいなかったし画一的な教育がヨシとされていた。

中学〜高校〜大学〜現在に至るまで、思いつきと勢いだけで生きてきたワタシは失敗も多く、その度に後悔する。これは他人のアドバイスを全く聞かないから、というか相談すらしないからだ。これには子供の頃からの大人嫌いが大いに関係していると思う。どうせ理解してもらえない、みんなと同じ事しろと強制される、文句を言われるという大人へのマイナスイメージ。

今回、この原体験を考えるワークショップで気づいたことがある。

それは今かかわっている子どもたちにワタシと同じ思いをして欲しくない、ということだ。もっと自分を自由に表現し認められる体験を重ねて欲しい。

これからの未来を生きる子どもたちは多様性をお互いに認め、協働しながら新しい価値観を作り出すイノベーティブな思考力が必要。幼児期の段階でやりこんだ体験や感覚、人と一緒に頑張れた成功体験 や達成感をたくさん経験させてあげることがとても重要かな、と。

子どもたちのひとりひとりの個性を認め自己肯定感が高まるような教材・子どもたちが楽しみながら学べる教材と、療育・保育に携わる先生がわかりやすいカリキュラムの提供をしていきたい。そしてそれはEcoldの理念「二次障害にさせない社会作り」につながっていくと思う。

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