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美、創造、狂気

- Mahler - Ken Russell

なんという高尚な題名を付けてしまったのか?


「またか…?」と言われそうな既出の映像を挙げつつ、マスクや消毒ばかりで、モヤモヤした毎日に一石、いや半石を投じる想いを羅列してみようと思う…



だいぶ昔だが、作曲家グスタフ・マーラーを主人公にした映画『マーラー』(監督:ケン・ラッセル)が深夜放送で放映されるというので、タイマー録画した。

興味本位だったので、放映時間も確認せずにセットしたVHSビデオテープが足らずに、ラストシーンが切れてしまった。

翌日再生してみると、今までに見たこともないようなシーンの連続で、度肝を抜かれた。
たしかに、これはお茶の間の時間帯には放映できないだろうな、という場面も多い。



マーラー夫妻が、列車で旅をする。その折々に、過去の回想や妄想が繰り返し現れる。ただそれだけのストーリーなのだが…

列車の出発を、豪華な個室で待つ夫妻だが、例によって〝いらち〟なグスタフの言動に嫌気した妻アルマは、雑誌を買いに列車を降りてしまう。
しかしその後、ホームに現れた幻想的な光景に、車窓のグスタフの眼は釘付けになる。

それは、まさにイタリア映画の巨匠ヴィスコンティ『ベニスに死す』の〝あのシーン〟のオマージュなのだ。

Luchino Visconti Death in Venice


あのシーンとは、絶世の美少年と云われたビョルン・アンドレセン演じる貴公子、タジオに惹かれた主人公、グスタフ・アシェンバッハの視線が、ストーカー並みにタジオを追いつづけるなかで、白眉とも言える『あのシーン』だ…

タジオは、早くから〝変態おやじ〟の存在に気づいているようで、グスタフを弄んでいるようにも見えるが、タジオ自身にもどこか孤独を感じさせる…

ホテルからプライベートビーチに出るエントランスで、水着姿のタジオはポールにつかまりながらくるりとひと回り。それを何度も繰り返すが、それを目の前で見せられたグスタフはメロメロになってしまう。



『ベニスに死す』を視たのは『MAHLER』のオマージュのオリジナル場面を確認するためだったのだが…


グスタフとアルフレッド


『ベニスに死す』も、回想・妄想シーンが多い。
グスタフ・アシェンバッハの友人と思われる人物、アルフレッドが回想のなかに何度も現れ、グスタフを苦悩させる。

実際、マーラーは『無調』『十二音技法』と呼ばれる新たな技法で、現代音楽の源流をなした作曲家のアルノルト・シェーンベルクと親交が深かったらしく、彼がアルフレッドのモデルだともいわれる。

回想の中で、アルフレッドはグスタフにけしかける。


(創作には)邪悪さが必要だ

背徳は、天才にとっての糧なのだ

精神の健康などくだらん

汚れた現実に、身を投じろ

潔癖で、理性的なグスタフにとって
アルフレッドの言葉は、悪魔の声だ。

マーラーが作曲のために、感覚よりも頭の中の観念を重視しているところは『MAHLER』のシーンにも現れる。
湖畔の作曲小屋でマーラーは、妻のアルマに、「カラスを退治してこい。ついでに卵も処分するんだ!」と命じる。

映画『ベニスに死す』は、題名からトーマス・マンの小説『ベニスに死す』を原作としているのはもちろんだが、ヴィスコンティ監督は、もうひとつの原作として、作曲家アドリアン・レーヴァーキューンの苦悩を描いた小説『ファウストス博士』を盛り込んだのではないか、という考察もある。
(レバキューンは、創作の霊感を得るために、意図的に梅毒に感染する…)

タジオに心を奪われたグスタフも、最初は抑制的であったが、アルフレッドの誘惑に乗せられ、コレラ感染症が蔓延するベニス(ベネチア)から避難する機会を失う。

そして最後には、タジオに身も心も捧げる道を選ぶ。全身白の衣装に〝死に化粧〟を施したグスタフは、デッキチェアからビーチで戯れるタジオを眺めながら昇天する。

まさに〝狂気の沙汰、といえる最期だが、グスタフ自身は、どこか満足そうに見えたのだ。



これはもちろんフィクションであり、ヴィスコンティの創作だが、観念的で潔癖、完全主義者でカチカチのドイツ人、グスタフ・アシェンバッハという人物のベネチアへの旅を通して『決して清潔ではない空気』のなかで、ほんとうの『美』に目覚め、耽溺しながら自決する、いわば『ニーチェ的』『実存的』なドラマなのかもしれない。

私は、以前もこのテーマで、記事を書いたがなぜか内容が消えてしまった…

それは、山本常朝が『葉隠』のなかで説く『忍ぶ恋』や、三島由紀夫の『葉隠入門』の中にも似たような心情が書かれているように思えたことだ。


古代ギリシャの哲学者
プラトンはこう言ったそうだ…



神によって授けられた狂気は

よきもののなかでも

最大のよきものである

ケン・ラッセル映画の
ダイジェスト映像​

注)度肝を抜かれる…

今般のコロナ対策を批判するものでは、毛頭ありません。
ただ殺菌消毒をしすぎて、創作意欲や美意識の源である〝発酵菌〟まで殺処分してしまわないか老婆心ながら、やや心配です。