未知のトリュフォーとの遭遇
映画『華氏451』(1966年)
1950年代のフランス映画界を席巻した、ヌーヴェルヴァーグ…
その旗手として、ジャン=リュック・ゴダールと並び称されるフランソワ・トリュフォーの作品に注目してみよう。
真っ赤な消防車のような車に、直立不動で乗る男達。
ファイヤーマンと呼ばれる彼らは、一体何者なのか?
原作とは、やや異なる展開もあるようだが、SF嫌いなはずのトリュフォーが、このような映画を製作したのはなぜか?
しかも製作地はイギリスで、台詞も英語だ。
≪ 本の所持や読書が禁じられた、架空の社会における人間模様を描いた作品。題名は(本の素材である)紙が自然発火する温度(華氏451度≒摂氏233度)を意味している。 ≫
(wikipedia『華氏451度』)
原作は、米国のレイ・ブラッドベリによって1953年に書かれたSF小説『華氏451度』だ。
このストーリーはSFであるが、アメリカ的な近代化社会において、現実として起こりうる予言的な内容だ…
文字の使用がタブーとなるテーマに合わせて、トリュフォーの映画では、タイトルやクレジットが表示されない。
主役のガイ・モンターグ (オスカー・ウェルナー)は、ファイヤーマンの一員であり、本の所有者宅から、あらゆる書物を容赦なく押収し、火炎放射器で焼く、いわゆる〝焚書〟が仕事だ。
彼は、自分の仕事に何の疑問も持たなかったが、知的な女性クラリスと出会ってからは、徐々に考え方が変化してゆく。
モンターグは既婚者であるが、妻のリンダ(原作ではミルドレッド)は、読書などは一切関心がなく、毎日テレビ三昧で、おまけに夫や子供に関しても全くの無関心だ。
モンターグが出会った女性クラリスと妻は、ジュリー・クリスティが一人二役で演じているが、クラリスはショートカット、妻はロングヘアになっている。
原作では、クラリスは事故死してしまうが、彼女に感化されたモンターグは密かに本を収集し始める。
ある日、ファイヤーマンの出動先は、モンターグ自身の家だった。
This is my house !
妻の密告によって、モンターグはファイヤーマンの隊長に逮捕されそうになるが、彼は火炎放射器で隊長を殺害してしまう。
そこからモンターグの逃亡劇が始まる…
読書という自由な思考を与えるものを有害だとして排除し、テレビジョンによって人々の思考を、統一支配しようとするシステムは、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』のビッグブラザーによる監視システム〝テレスクリーン〟にも通じるところがある。
戦後の日本において行われたという、いわゆる3S政策(スクリーン、スポーツ、セックスの推奨)も似たようなものではないか?
活字離れが進んだ現代は、もはや本を焼く必要もなくなったかもしれないが…、紙に代わって登場したインターネットにも、情報統制が強まっているようだ…
今や、対立するメディア同士が、相手をフェイクだとかプロパガンダだと批判し合い、情報を享受する我々は、一体何を信じればよいのか、訳のわからない滑稽な時代になってしまった。
『華氏451』は、メディアによる一方的な情報を、鵜呑みにしないよう、今の時代にこそ警告を与える物語かもしれない。
これは、私の妄想だが、妻や家庭に見切りをつけ、新天地を求めて逃走するモンターグと、『未知との遭遇』で、家族も地球の生活も断捨離して、UFOで旅立つロイ・ニアリー には、重なるものを感じてしまう…
ラストシーンで、科学者ラコーム(トリュフォー)がロイに、「ニアリー、君が羨ましいよ」と語りかける意味が、なんとなく解けたような気がする。
原作『華氏451度』の解説