7月23日の日記「映画で気持ちようなりたいんよ」

 本当に食っちゃ寝してたら1日が終わったぞ。昼の12時まで寝て、昼飯食って、近所の本屋に行って、家帰って昨日の日記書いて、昼寝したら夜になって、夕飯食って、はい、1日終わり。やべ、1日自由な時間があったってのに、日記に書くようなことがなんもないぞ。えーと、夕飯にタルタルのり弁と蒙古タンメン食べたんだけど、あまりにも不健康な献立に自分でも笑っちゃった。のり弁、磯辺揚げに魚フライとちゃんとしたおかずが入ってるのに、300円で売ってるの助かるよね。500円とかで売ってる他の弁当と、さほど満足感変わらないのに。頼むオリジン、このまま真実に気づかないままでいてくれ……!

 今日2本目の野菜ジュース飲んだら、不健康極まりないこの1日は相殺されるだろうか? ついにカゴメの瀬戸内柑橘ミックスの期間が終わってしまって、仕方なく似た系統の沖縄シークワーサーを飲んでるけど、柑橘ミックスに比べると味がやや単調なのと、酸味がちょい強めかな。柑橘ミックスの方が好みだけど、まあ普通に美味しいからこれ飲んでくかー。


 今日を多少は中身のある1日にするために、huluでなんか映画を観ようと思った。huluって、アニメとかバラエティは充実してるけど、あんま映画は充実してないのかな? 名作映画と呼ばれてるやつ片っ端から見ようと思ってるんだけど、全然huluにないや。Netflixの方が映画観れるんかな? 


 今日観たのは「ユージュアル・サスペクツ」。タイトルだけは聞いたことがあるぞ。上田晋也が「ユージュアル・サスペクツ的展開か!」みたいや例えツッコミしてた気がする。だから、物語の展開に特徴があるんだろうな。最後にどんでん返しが待っている的な? すげーざっくりとした予想をしつつ、視聴。

 観終わった初見の感想としては、確かに黒幕の正体は意外だったけど、物語の流れというか、伏線みたいなものをあんま理解してなかったゆえ、どんでん返しの衝撃がさほどなくて残念だった(残念ってのは、自身の理解力に対してね)。どっちかというと、無実の容疑をかけられていた主人公チームが、人を殺さない方法で警察にやり返す、というところで終わっておけば痛快な復讐劇だったのに、そこから不穏な計画に手を出してしまい、強大な組織に目をつけられ、結局多くの人を殺すことになり、最終的には破滅する……という、やりきれないストーリー展開の方が印象に残ったな。特に、キートンね。キートンは汚職で警官を退職した過去を精算して、まともな仕事で成功しようと必死になっていたけれど、結局犯罪に手を出すことになり、最後には恋人もろとも殺される。そんな凋落の様子が切なかった。例え罪を犯したとしても、きっと人生はやり直せる。ただそれはあくまで可能性の話であり、叶えるためにはあまりにも膨大なパワーが必要だ。だから現実問題、人生をやり直すってのはほぼ不可能に近いほど困難なのだろう。そんなことを思いながら、彼が転落していく姿を見ていた。


 一通り見終わったあと、ネットで解説を調べて読む。この映画の要点を理解して、そのうえでもう一度見直したところ「あーここ伏線だったのね!」みたいな部分がポロポロ出てきて、初見よりも全然面白かった。ただ、初見じゃあ気づかんよー。最後のパズルのピースが嵌っていく的な演出も、俺全然ピンときてなかったし。そもそも、登場人物の顔と名前を一致させるにもかなり時間かかったからな。こういう理解力と勘の良さが求められる作品は、自分で気づけたらめっちゃ気持ちいいし面白いんだろうけど、そうはならず自分の頭の悪さに切なくなる時の方が多いんだよなー。

 この映画の肝は、(初見じゃ気づかなかったけれど)視点である。この映像は、誰の視点によって映し出されたものだ? という点が重要になってくるのだ。基本的に映画は、神の視点で映し出される(はず)。一定の視点から撮った映像のみで物語を進めるのってほぼ無理だろうし。だから、そこに映っているものはすべて真実だと見る側は受け取る、というか受け取るしかなくて、そこは小説よりも厳格な部分だ。小説なら一人称視点がありえるから、語り手の主観により語られていることが真実でないことがありうるけれど、映像じゃ難しいでしょう。真実を真実でないように見せることはできたとしても、明確に事実でないことを描写することはできない。……のだが、この作品はそれをやってのけている。それを「そんなんルール違反じゃん!」ではなく「すげー! 騙された!!」と見る側に思わせるためには、構成・演出の巧みさが必要なのだろう。そういう叙述トリック的な演出を映像で再現している作品で、僕が過去に観たことがあるのは伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』の映画だ。アレはもともと原作を読んでいて、そういったトリックを映像でどう再現するか、という点に着目して観ていたのと、種明かしの演出がわかりやすかった(かつ、その瞬間まで気づかなかった)ので、かなり納得感高かったですね。ストーリーはそもそも原作の時点でそんなに好きじゃなかったんだけど、この映画は見せ方の上手さに感動して、そういう意味で十分に楽しめた。なんで、『アヒルと鴨のコインロッカー』に関しては、原作を読んでから映画を観て欲しいですね。

 

 ただ自分は、どんな映画もあらすじ読んである程度要点を理解してから観たほうが、物語にノレて楽しめるタイプだと思う。でもそれって、なんか負けた気がして悔しいんだよな。さっきも言ったように、自力で気づいて気持ちよくなりたいなーって思ってるんだけど、そうしたいなら少なくとも、部屋でのんびりスマホ片手に観てるようじゃあダメですね。……いやまあ、本気で観て本気でわからんかった方が凹むから、ええか。……ええか? 映画鑑賞にまで予防線を持ち込むなよ。


 

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