ヨーグルト観察日誌その1~ギリシャヨーグルトとの邂逅(であい)~
――きみは、憶えているだろうか。ヨーグルトが単なる「食事」から「快楽(けらく)」へと変わった瞬間を。
僕は、それをまるで昨日のことのように思い出せる。あれはたぶん幼稚園だったか、小学校低学年だったかそのあたりのころ、とにかく初めていちご味のヨーグルトを食べたとき、僕の中で確かにヨーグルトの概念が変わったのである。ぜんぜん覚えてねえじゃねえか。要するに僕は最近、昨日のこともよく思い出せのだ。なんならさっき歯を磨いたはずなんだけどその記憶にさえ自信がないので、これを書き終えたらまた歯磨きしようと思います。
話が逸れてしまったが、要するにいちご味のヨーグルトを食べたそのとき、僕にとってあくまで「食事」だったヨーグルトが、れっきとした「スイーツ」として地位を確立したのだ。でもそれは、他のスイーツの味を知らぬ幼少期の話。ケーキ、クレープ、シュークリームなど、年を重ね、様々な種類のスイーツに出会う度に、スイーツとしてのヨーグルトのランクは段々と下がっていった。それにくわえて、乳酸菌だのタンパク質だの、ヨーグルトの健康食品としての価値を知るようになった。するといつの間にかヨーグルトは「スイーツ」ではなく、また「食事」の位置へと逆戻りしてしまった。
しかし三度、ヨーグルトの地位の反転が起こる。あれは2019年、22歳の夏。日を跨いでも消えない熱気が蓄積し、ひとつの限界を迎えていた蒸し暑い夕暮れのことだった。その日の夕食を終えた僕は、何か食後に甘い物でも食べようとスーパーに立ち寄ることになる。そこでふと目に留まったのは、ケーキでもクレープでもシュークリームでもなく、「牧場の朝」のヨーグルトであった。幼い頃、妹と奪い合うように食べていたヨーグルト。3つで1パックのその「牧場の朝」を、現在(いま)、僕はやろうと思えば全部独り占めして食べることができる。そんな全能感を覚えた僕は、いつの間に「牧場の朝」をレジへと持って行っていた。そうして家で1人で食べた「牧場の朝」、それがもたらした幸福は他のスイーツがもたらす幸福と比べても何ら遜色ないものだった。同時に僕は、幼少の頃と比べれば大きく広がった現在の視野で、「スイーツ」としてのヨーグルトを見つめたとき、その荒野には無限の可能性が広がっているのではないかということに気が付いた。こうして、僕の様々なヨーグルトを食べ比べるという、涯(は)てなき荒野を征(ゆ)く旅が始まった。「牧場の朝」の朝は牧場だけでなく、僕の人生にも、新たな1つの朝をもたらしたのであった――
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ようするに、最近ヨーグルトの美味しさを再発見したので、いろいろな種類のヨーグルトを食べてみようと思いました、という話です。ヨーグルトは昔から普通に好きだったけど、そんなたくさんの種類を食べたこともないし、その中で記憶に残っているもの、今も好んで食べているものを挙げるとしたら、それこそ両の指で足りてしまう。それに比べ、世の中に存在するヨーグルトの種類のなんと多いことか。うちの近所のスーパーでは、陳列棚の3ブロックにもわたってヨーグルトが並べられていた。スイーツ全種類で2ブロックとかなので、ヨーグルトの品揃えの異常さがよく分かる。だからこの世には、まだ僕の食べたことのないめちゃ美味ヨーグルトがあるはずなのに、このままでは僕はそれに出会う前に死んでしまう。ちょうど僕には趣味といえる趣味もなかったので、とりあえずそのスーパーのヨーグルト全種類制覇することを目標に、いろんなヨーグルトを食べてみることを趣味にして、鈍色の日常に彩りを与えたいと思う。そんでどうせなら、食べたヨーグルトの記録をつけてみよう。それこそがタイトルにある、「ヨーグルト観察日誌」である。
そんなヨーグルト観察日誌、記念すべき初日のヨーグルトは、森永の「濃密ギリシャヨーグルト パルテノ(はちみつ付)」。なぜこのヨーグルトを選んだかというと、ひとつはそのスーパーの中で最も高価なヨーグルトだったから。最初に1番(値段的に)躊躇してしまいそうなものをえいやと買っておけば、それ以降の多少お高いヨーグルトも抵抗なく買えるかと。もうひとつは、こういう機会でなければ自分が買わないようなヨーグルトだと思ったから。高いのもそうだけど、ギリシャヨーグルトなんて普通のヨーグルトと何が違うのか全然分からず、得体が知れない。ギリシャ自体も世界地図の左上らへんにあることくらいしか分からんし(世界史やっただろ?)、そもそもギリシャヨーグルトという名前が怪しい。出身地以外に誇るべきところはないのか? もしギリシャヨーグルトが爆裂に美味だったら、「ギリシャヨーグルト」じゃなくて「爆旨ヨーグルト」みたいな名前になっているはずなので(そっちの方が僕みたいな馬鹿に売れるから)、少なくとも味はそんなに期待できないな、とか好き放題思っていた。なんでこういう機会がなければ、このヨーグルトを手に取ることすらなかっただろう。
パッケージはこんな感じ。値段は一個で160円くらいして、これは「牧場の朝」のおよそ5個分に値する金額なので、自ずと食べる前から審査の目が厳しくなってしまう。パッケージはなんか高級感あるぞ。この白い建物はギリシャによくある建築物なのか。てっぺんに付いている帽子みたいな屋根?がブルーベリーっぽくて、ヨーグルトのパッケージに使うには紛らわしい気がする。別にブルーベリー味もあったが、これはプレーン味で、蓋の上にある別容器のはちみつをかけて食べるみたい。あと、頑張って探したけど最後まで何が3倍濃縮されているのか分からんかった。汚泥か?
んで、実際に食べてみた感想は、
☆クリームチーズと生クリームの中間みたいな見た目でとろとろなんだけど、形はけっこう残している、食感はめちゃ滑らか。
☆味は普通のヨーグルトよりも濃厚で、そんでもって酸味はだいぶマイルド。けれど後味はねっとりしておらず、すうっと消える感じ。
☆はちみつと合わせるとさらに食感がとろっとする。個人的にはちみつの甘みは砂糖やメープルシロップより複雑な甘みだと感じているけど、その複雑さがこのヨーグルトには合ってる……気がする。
……みたいな感じ。食べた後に調べてみると、ギリシャヨーグルトはヨーグルトを水切りするギリシャ式の製法で作る、濃厚な味わいが特徴のヨーグルトだそうだ。高たんぱく&低カロリーなのがウリらしい。日本で初登場したのは2011年とけっこう前で、それがまさしくこの「パルテノ」。僕にとってギリシャヨーグルトは最先端の食べ物だったので、この事実はけっこうショックだった。僕は音楽だけでなく、食べ物の流行にも周回遅れを食らっているらしい。ちなみに、ファッションの流行に関してはそもそもスタートを切ってない。どうぞよろしくお願いします。
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総じて、この「パルテノ」は美味いから高級というよりも、良質だから高級、という感じだった。やっぱりヨーグルトは健康志向の風潮が強いんだろうか。スイーツとしての「快楽(けらく)」を求める僕にとっては少し残念だが、1番初めに試したヨーグルトが1番美味かったら、以降他のヨーグルトを食べ続けるモチベーションをどう保持すりゃいいか分からんかったし、良いか。
まあこんな感じで日々違うヨーグルトを食べてそれを記録していこうと思うのだけれど、さすがに毎日noteを更新するほどちゃんとしたものは書けないので、普段はメモ帳にメモっておいて、それが節目の数に達したり、なにか特筆すべきヨーグルトと遭遇したりしたら、ここにまとめようと思います。なんでメモ帳に留めずnoteに書くのかっていうと理由は2つあって、1つはあえてここに書いてInternetの海に放流することにより、自分が途中でこのヨーグルト観察日誌を投げ出さないようにするため。誰かが本当に見ているかはあまり関係なく(誰かが見てくれていたら超絶ハッピーですけど)、誰かに見られているかもしれないという意識が、自分の行動の動機づけになる気がしており、たぶんそういう過剰な自意識は他の文章にも影響している。とはいえ大したプレッシャーはかかっていないので、ヨーグルト観察日誌といいつつも適当なペースでやっていこうと思います。暑いんでアイスとか食いたいし。とりあえずスーパーのヨーグルト全制覇を目標に掲げて、開始1週間で4種類くらいは食ってるけど、スーパーのヨーグルト100種類くらいあって、3~4個パックやでかい容器のやつもあるので、目標達成まで幾度季節が巡るかわからんね。
あとnoteに書く理由のもうひとつは、書くネタがないからですね。書くネタのためにヨーグルト観察日誌を始めようと思ったという気持ちが1ミリでもなかったかと言われたら嘘になる。日記を書く人の中にはときおり日記に生活を支配されているように錯覚してしまう者もいると聞くけど、僕は週1更新を心がけているnoteでもそうなってしまっている。でも、noteに書こうというスケベ心ありきの行動でも、それで日々が多少なりとも充実するなら悪くない気がするので、しばらくはnoteの掌の上で踊らされることにします。いつの日か無理やり捻り出さんでも書きたいと思うことが自然に溢れてくるような、そんな薔薇色の日々を送れるようになりたいけど、まあ無理でしょうね。哀しい。
後半ヨーグルト関係なくなってたけど、とりあえずわざわざ「ヨーグルト観察日誌その1」とナンバリングした以上、その2が書けるようにヨーグルト観察日誌を継続していきます。タイトルからいつの間にか「その1」の部分が消えていたら、そのときは察してください。では、皆さんも良きyoghourt lifeを。さようぐるとなら。