それ、主食なん?!
あまり身内を褒めるものではないと思うが、私の母は働き者で明るく、友達も多い善人だ。舅や姑の介護もきちんとこなして見送った。
だが振り返るとやはり風変わりなところがあるように思う。
特に思い出すのはお弁当だ。
中学、高校と計6年間、母の手作り弁当を食べてきたが、その愛情たっぷり加減はご飯の詰め方にも現れていた。
小柄なくせに怪力の母は箱寿司になるんじゃないかと思うぐらいぎゅうぎゅうにご飯を詰める。
ご飯が温かい時はまだ良いのだが、お昼に食べる頃には冷えて硬くなってしまう。
中学生と言えば食べ盛りだ。お腹が減っているのでこちらも必死でご飯をすくおうとする。
すると、勢い余ってボキッと音をたててプラスチックの箸が折れた。
ご飯時に席を立つのは癪だが、当時はコンビニなどもなく予備の箸を持っている者など周りにいない。仕方がなく職員室に箸を貰いにいく。
「お前、よう箸が折れるなぁ~!」
そうなのだ。
その日で3回目だった。やはりどこか変だ。
戻って周りの友だちに聞くとお弁当の箸が折れたことなど一度も無いという。帰ってから母に言った。
「……お母さん、お弁当の箸が折れてん」
「あら、またかいな」
「箸が折れるのな、あたしだけやねん……」
「え、なんでや……」
それから、やっとふんわり、ご飯を入れてくれるようになった。
小学校の修学旅行で持たされたお弁当も特別だった。
一張羅のおでかけ用の服を着て、初めて乗る新幹線にときめき仲間とはしゃいでお弁当を開けた時だった。
包みを開けるとお弁当の上に般若心教を写経した半紙がのせられていた。
うちはごくごく平凡な浄土真宗だ。
朝晩、お経を読むようなことも特になく、耳なし芳一の子孫という訳でもない。
般若心教が書かれた半紙はその頃、写経にはまっていた母が入れたものだった。泊りがけの旅行が心配だ、無事に帰って来てね。……というような短いメモも入っていた。
きっとお守り的な意味で入れてくれたのだろうが、周りの友達にドン引きされたことは言うまでもない。
しかし、まだ極めつけがある。
小学校、低学年のころ、
『お弁当箱を使い捨ての容器で持ってきて下さい』
……と言われた遠足だった。
母は連絡帳を見て、随分と前から困っていた気がする。
遠足先で待ちに待ったお昼となり、友達と車座になって包みを開けた瞬間、私は仰天した。
弁当の包みの中にはラーマソフトのプラスチック容器が入っていた。
マーガリンの容器!!
「Yちゃんっ、それ主食なん?!」
先生の指示通り捨てられる容器だ。母のしたことに間違いは無い。
しかし、先生や私たちのイメージしたものとは違う!
ラーマソフトの空き容器を綺麗に洗って入れた中身は普通にいつもの卵焼きやブロッコリーや唐揚げやおにぎりのはずだったのだが、残念ながら全部、マーガリンのかたまりを食べてるみたいな気持ちになった。
家族のことを褒めたって仕方ないが、うちの母はまあまあいい人だ。
でも本当にたまにだがそんなところがあって、今思うと面白い。