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和紅茶の歴史 下

てっきり私は戦後の食糧難で国産紅茶の製産は無くなっていたのかと思い込んでいたのですが、逆に国内需要が伸びて1955年には8,525トンが製産され、3,000トン程度は国内で消費されていたのです。

なぜ、私が育ってきた時代には国産紅茶が忘れ去られていたのか不思議になります。
答えは1971年の紅茶輸入自由化がきっかけでした。安くて手軽に飲める紅茶がたくさん入ってきて日本人が紅茶という飲み物に触れる機会が増える一方で、国産紅茶は風前の灯となっていたのです。

1990年代、衰退してしまった国産紅茶を復活させたひとりが静岡丸子の村松二六さんです。前回の歴史の中で日本中に紅茶製造技術を広めた多田元吉の遺志を継ぎ、国産紅茶の研究を進めました。紅茶用茶樹の「ベニフウキ」の生産を日本で始めて成功された方でもあります。(花粉症に効果があることで有名になった品種です)

村松二六さんの紅茶作りのノウハウを身に付けたいと全国のたくさんの茶農家が訪れて指導を受けたそう。茶業の方々には国産紅茶で丸子は有名な地となりました。
打越の加賀紅茶もこちらで誕生したのですが、それはまた別の回に紹介します。

日本各地で地場産業として国産紅茶が注目されて行ったのも丸子紅茶があってのことでしょう。日本各地で国産紅茶が製産されて特色を放っています。
その中でも、国産紅茶の7割は静岡県で製産されており、トップの位置を取り続けているのです。

2002年には第一回全国紅茶サミットが開かれ国産紅茶が次第にスポットを浴び始めました。
今では世界で日本産の紅茶の美味しさが評価されて「和紅茶」というジャンルが立ち上がってきたのです。

以上、国産紅茶の歴史ダイジェストでした。

#和紅茶 #国産紅茶 #加賀紅茶 #日本茶

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