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日常に潜む死を克服する(『マイ・ブロークン・マリコ』を観て)

はじめテンポ良く、途中スローダウンし、終盤にかけて盛り返す。
中盤は同じようなシーンが繰り返されるし、マキオ(窪田正孝)の立ち位置も曖昧な気がして、、、

観ながらの感想は、「この映画は1時間で十分じゃないか」。

しかし、終わった後にじんわりと胸が締め付けられるような感覚を覚えて、はじめて、一つ一つのシーンが心に少しずつ、細く深く刺さっていたことに気付く。

親友の死を目の前にして徐々に思い出を引き出す手法や
同じようでいて少しずつ印象を変えていく過去の回想。
過去の回想を通して表現される親友に対する複雑な感情があり、
複雑な感情を持つ自分に気が付き
後悔や怒りや情けなさ(もしかしたら安堵さえ)を感じる混乱がある。
人と触れ合うことで少しずつ戻ってくる日常に、
日常の中に潜む「別の死」、

「死」さえも日常である冷酷な現実、
「死」さえも救いになりうる残酷な現実、
その現実の中でただ生きていくことしかないけど、
ただ生きていくことが難しく、究極の愛情表現であること。

また、いくらでも重たくできる題材(毒親、自殺、親友の死、、、)において、
陽気なコミカルさが交わることで観ている間は感傷に浸らせず、
それでいて、後になって、シイノ(永野芽郁)にもマリコ(奈緒)にも感情移入できる部分が多いことを知り考えさせられる。

こういう何層にも積み重なる心へのアプローチで、じんわりと抉られる。


最後に、なぜマリコの手紙を読んでなぜシイノは笑ったのか。
少なくとも、マリコは最後までマリコだったのだと思う。
そして、Theピーズの『生きのばし』が全てを肯定して終わる。

自分は自分で、日常に潜む死に負けず、生き抜くしかないし、
それが愛情表現になるのかもしれない。

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