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『「具体⇄抽象」トレーニング』を読んで

前職の時にやたらと勧められた本をようやっと読了。
一貫していてわかりやすく、思考法でありながら目の前の日常に即適用できる利便性も兼ねている、手元に置いて定期的に読み返したい類の本であった。確かに人に勧めやすい本。

テーマは、章のタイトルにもなっている『不毛な議論の多くは「具体と抽象のズレ」から来る』だ。「具体と抽象」を「川下と川上」、「自由度の小大」、「枝葉と幹」といった風に抽象的に例えたり、「賃貸と持ち家」、「コミュニケーション」、「ロゴの盗作」といった風に具体的に説明したり、まさに「具体と抽象」を使いながらテーマに収斂していく。

【おわりに】から引用するとこんな説明になる。

かなりの知識と教養があると思われる人でも、「具体と抽象」という軸を使えば一言で説明できることを、延々と他の言葉で説明している場面をしばしば見かけます。
「川上と川下の混同」でも同様です。「それは川上の話なのか、それとも川下の話なのか」を前提条件として明示しないまま、相反する意見に関して「どちらが正しいか」という不毛な議論が世界中で膨大な時間を使って行われています。(p280)



僕が惹かれたポイントは、俗物的に言えば、「この考え方を身につけておけば、ずいぶんと余裕を持って人とのコミュニケーションを取れそう」な点だ。例えばこんなこと。

「他人には簡単にレッテルを貼るくせに、自分がそうされると不満に感じる」というのは、まさに「他人のことはろくに具体レベルの詳細を見ずに簡単に抽象化するくせに、他人からそうされると(自分では詳細の具体が見えている分)不満に感じる」ことを意味しています。
(中略)
他人のことはなるべく具体的で詳細な事情までを考慮するようにし、自分のことはあまり特別視せずに引いた目で一般化してみるぐらいが、他人とのコミュニケーションではちょうど良くなるのです。
私たちはある人を描写する際に、状況に応じて無意識に「切り取る属性」を選んでいるはずです。同じことが人物だけでなく物質や事実、あるいは概念に対しても用いられることになります。
(中略)
一方で、その言葉を聞いて理解する方は、「どのような状況や条件で」その言葉が使われたかを知らずにそれを理解しようとするはずですから、元々の意味が伝わることが奇跡と言っても良いほどの状況なのです。(p214)

「この人、具体と抽象をごちゃ混ぜに使っているな」とか「あっちは具体で話しているのに、こっちは抽象で返しているな」とか見れるようになったら、今よりも客観的に物事を捉えられそう。

もう一つのポイントとして、意識高めにいうと「仕事に活かせるな」という点。今までプレーヤーとしてひたすらにやりこんできて、突如として仕組みを構成することになった今の段階において、沁みるものがあった。壁や困難さを感じるにあたり、「お前はこれができていないよ」と明確に示してくれることの価値は高い。例えばこんなとこ。

具体的な指示というのは自由度が低いため、その指示に対するアウトプットは、プラス方向にもマイナス方向にも振れ幅が小さくなるのが特徴です。つまり、良くも悪くもサプライズは少なくなります。
一方、抽象度の高い指示は結果に対する自由度が高いため、良い意味のサプライズも起きる反面、悪い意味のサプライズも起きる可能性があります。(p184)
川下では重要なことは具体性なので、使用が具体的かつ詳細に記述された明確なもののみ扱えばよかったのです。一方、川上に行くとなると、中量的なコンセプトを打ち立てたり、能動的にリスクを犯してでも提案することが求められるようになります。そのため、川下川の発想のままで川上の仕事に取り組むので、その矛盾を解消することができず、なかなか川上に上がっていくことができないという結果になります。(p249)

とまとめてはみたものの、未だ実際に活用するには理解が追いついていない。一つの指針として、日々の取り組みからでしょう


最後まで読んでくださいましてありがとうございます! 一度きりの人生をともに楽しみましょう!