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舞台演劇からの着想 (イン・ザ・ニューワールド 第3話)

 
 はじめて舞台演劇というものを見た日のことを。

            ☆

 とりあえず誰でもよかった(オイ失礼だろ)。

 東京へ行って舞台演劇というものを観に行ってみようと思い立った僕はフェイスブックで演劇に携わっている方を探し、突然友達申請をし、その申請を快く承認していただき、そしてその方が出演する舞台を見に行くこととなった。

 
 会場に着いて席に座る。
 席がある、というのも普段のライブハウスとは違う新しい体験だ。

 なんかドキドキしちゃう。
 そしてフェイスブックでしか見たことのないその役者さんはどのタイミングで出てくるのだろう。

 もう1度その役者さんの名前と役を照らし合わせようとを確認しようとパンフレットを取り出す。
 同時に客席が暗くなる。もうパンフレットの文字は見えなかった。

 
 終演後にご本人にお会いしてお話させて頂いたのだけれど、さっきまで舞台の上に流れていた物語の登場人物と話しているのか、その役者さんご本人と話しているのか、僕は一人でよく分からなくなっていた。

 帰り道、さっきの不思議な感じは何だったのだろうと考えていたが「役を演じて、人を引き込むというのはこういうことなんだろうな」と僕は思った素人ながらに。

 そうそう帰り道といえば・・。
 観劇中に自然と流れた涙が多いのなんので、泣きはらしたあとみたいな顔になってやしないかとヒヤヒヤしたものだ。電車を乗り継いで宿泊場所まで帰るわけだし・・。

 
 まるで僕のために用意されていたような物語だった。
 命尽きるまで短歌を書き続けた物語の主人公に自分を重ねて、自分もまた作り続けようと誓った忘れられない1日だ。

 書き続けたからって何も起こらないかもしれないけれど、書き続けることが自分自身なのだろうとも思うから。

 そして巡り会うべき芸術は、向こうから寄ってきてくれる時もあるらしい。こんな風に。

           ☆

 「観るものを引き込んで離さないのは狂気なのだ」

 僕は生まれて初めて舞台演劇というものを観て、そのことを強く感じた。

 人間の感情の表現には喜怒哀楽いろいろあれど、「狂気」「緊張感」といった類のものは観るものをその世界に引きずり込んでしまう不思議な力があるということを強く感じた。

 僕は一人きりで作品を作りライブも一人で、エレキギターと歌以外の音は予め録音されたものを使っている。

 ライブで「予め録音されたものを使う」ということを僕はいつもどこかで引け目に感じていた。

 100%の「生演奏」ではないということに対して引け目を感じていたということだ。

 そして僕は何処からか湧いてきた衝動に駆られて舞台演劇を観に行った。

 舞台もまた、役者の方が生で演じているし台詞も生の声だ。
 しかし効果音や劇中の音楽などは僕と同じように「予め録音されたもの」なのだ。

 むしろ役者さんたちの演技以外は「予め録音されたもの」だからこそ良いのかもしれないとも思う。

 生で舞台を鑑賞していると、その音の役割にあわせて音量が違っていたり、場合によっては右後方から聴こえてきたり、とても遠くから聴こえていたりする。

 そうやって「予め録音された音」がその舞台の世界観を作りそして観衆を引き込んでいく。

 
 同じエンターテイメントとはいえ、ロックのライブで育ってきた僕にとってそれはとても新鮮だったし大きなヒントでもあった。

 「歌とギター以外は録音だけれど・・」ではなくて、

 「予め録音された音を駆使して、理想の世界観を創り出す」
 そうやって考えれば、ある意味僕は他のどのバンドよりも「自由」なのだとも言える。

 こっちで行こうよ。うん、絶対こっちの方がいい。


  
 はじめて舞台演劇というものを観に行って以来、僕はそういうふうに考えるようになった。

 
 そして僕は少しずつ、楽曲を演奏する以外の部分・・ストーリーや視覚的なもの、効果音のようなものを意識するようになった。

           
            ☆

 今こうしてこの狭い部屋の中で当時を振り返ると、あの「舞台を観に行ってみよう」という衝動は僕にとって必要なことだったのだと思うし、必要だからこそあの衝動は湧いてきたのだと思う。

 「千紅万紫」という楽曲のジャケット写真として、その役者さんが撮った写真を使わせていただいている。

 たまたまフェイスブックを見ていたら、その役者さんが撮った写真が載せられていてとても素敵な写真だった。
 
 そして図々しくも「あの写真譲ってください」とお願いし、ジャケット写真として使わせていただくことに。

 
 今のこの状況の始まりの夜に歩いた道で、
 それでも見上げた空に浮かんでいた月の写真だという。

 
 次にお会いできるときにはどんな演技を魅せてくれるのだろう。
 その役者さんに限らず、遠くない未来に才能に溢れた芸術家たちがきっと今のこの瞬間や状況さえ芸術に変えていくはずだ。
 
 負けてはいられない。
 自分も作るぞ書くぞ。

 ありとあらゆる芸術が百花繚乱に咲き誇る。
 アフターコロナに、僕はそんな夢をみている。

 https://youtu.be/MZw4PlnVotM

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