パラレルワールド 22
☆
「久しぶりだな」
アジトのドアを開けるとライオンの覆面を被った男がすぐ僕に気づいて声をかけた。
「あまり一つの場所にどっぷりと浸からないように心掛けてるんだ。」
「いい心がけだ。いつでも流れていないとな。淀むだけだからな。」
そんな気の利いた返事のあとでライオンの覆面の男は続けた。
「いいところに来た。新メニューのハムチーズ・トーストがある。どうだ?今ちょうど出来上がったばかりの試作品だ。もちろんお代は要らんよ。」
「いいね。いただくよ」
たしかこの前来たときにはハム・サンドウィッチだった。ライオンの覆面のマスターもまた、常に流れていようとしているらしかった。
ハムチーズ・トーストは絶品だった。
ハム、チーズ、トースト・・どれもそれほど贅沢な食材というわけではなかったが、僕にとってそれらはアイドルだった。もちろん、大人になった今でも。
そんなアイドル達が一つの場所に集まり、今宵のアルコールに花を添えてくれるのだ。
早々にたいらげてしまうのは勿体なかったが、グズグズして冷ましてしまうのはさらに愚かな行為だった。
僕はまずハイネケンを渇いた喉に流し込み、ハムチーズ・トーストに容赦なくかぶりついた。
それが正しい。
ライオンの覆面を被ったマスターはそうと言わんばかりに二度頷いてジャック・ダニエルをオン・ザ・ロックで味わうための丸い氷を削り始めた。
僕は二杯目以降には必ずジャック・ダニエルをオーダーする。
この店に限らず、だ。
僕は「通」としてウイスキーを語れるほどに、数多くのウイスキーを飲めるほどの金を持ったことなんてなかった。
ただ・・ジャック・ダニエルの、あのボトルに張り付けられたラベルが格好いい。
僕がジャック・ダニエルを愛好しているのはそれが理由で、それだけが理由だった。
僕にとって気の利いたバーでジャック・ダニエルをオーダーするという行為は(できればオン・ザ・ロックがいい)、例えば歪みきったエレクトリック・ギタリストが時折魅せるピック・スクラッチのように、世界で一番かっこいい行為の一つだった。
ライオンの覆面を被ったマスターは、それまでは(僕に向かっては)そっぽを向いていたジャック・ダニエルのラベルを僕に向かって真っすぐになるようにボトルの向きをなおし、珍しく彼の方から話題を切り出した。
「流れ・・といえば、だな。」
アイスピックを手に、慣れた手つきで氷を削りながらライオンの男は唐突に切り出した。
「ライブハウスっていうのは不思議な所だ。
渦 なんだ。
なんとかしていつも流れていようとする俺たちに対して、ライブハウスっていうのはそれ自体は決して動くことはないんだが、その中心で流れを巻き起こす渦なんだよ。」
ライオンの男は少し興奮気味に熱弁していた。
言われてみると確かにその通りだった。
グリーヴァのハコバンの彼らや田舎から一人出てきたタイシノムラ、そしてタイシノムラのあとで演奏したメインのラウド・ロックバンド。彼らはそれぞれ全く違う流れに乗ってはいるが、舞台は同じグリーヴァだった。
「ごく稀にそのいくつかの流れがぶつかる時がある。それがコンテストだ。本流となるひとつの流れがそこで決まる。」
コンテスト・・。そういえばあのタイシノムラはコンテストに出て世界No.1を獲るとかなんとか言っていた。
それがこのライオンの男の言うコンテストということなのだろうか?
もしそうだとしてもまさかあのレベルで世界は獲れまい・・。
よっぽどの「抜け道」のようなものでもあれば話は別だが・・。
少々頑張ったところでタイシノムラの起こす小さな流れなど、一瞬で大きな力を持った濁流に飲み込まれてしまうだろうし、誰かの記憶に残ることもおそらくないだろう。
メイン・ストリームというのはそれくらい大きな力を持っているし、それがメイン・ストリームたる所以だ。
ただ何処かで僕は少しだけ彼に、タイシノムラに興味があった。
まあおそらく「勝ち抜く」ということはないだろうが。
それ以外の部分で彼が一体何をやるのか、何が出来るというのか・・。僕はそこに強く興味を惹かれた。
以前タイシノムラについて書き留めておいたメモを取り出して読み返す。
彼を、タイシノムラに興味を持ったのはあながち間違いではなかったのではないかと思えてくる。
タイシノムラの行く先を見届けることが、あの長い尻尾の男から命じられた「フェスティバル」へと辿り着くためには必要不可欠なことのかもしれない。
僕はバー・カウンターに置かれたジャック・ダニエルの瓶を眺めながらそんなことをぼんやりと考えていた。
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「記録の存在しない街、トーキョー」に送り込まれた一人の男。仕事のなかった彼は、この街で「記録」をつけはじめる。そして彼によって記された「記…
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