第6回 PDCAのシステム・ダイナミクス
前回の記事では、スピード勝負な側面の大きいスタートアップは、認識(観測)→判断/意思決定→行動/実行の遅れを可能な限り減らすことが重要であることを確認しました。今回は「行動/実行」に関連して、PDCAに向き合うときの考え方について整理したいと思います。
スタートアップのPDCA
プロダクト開発、セールス、オンボーディング、コーポレート、ファイナンスなど様々な領域において、スタートアップは基本的には「正解がない」取り組みを行っているので、試行錯誤が常です。
たとえば、どれだけ事業やプロダクトの構想を緻密に練り上げても「顧客が本当の意味で求めているものが何か」、「顧客が求めている水準のソリューションを本当につくれるか/提供できるか」については、最初はわかりません。そのため、MVPを通じて検証を行ったり、PoCを通じて顧客の要求水準を満たすことができるかを検証することが、ある種の定石となっています(いわゆる「リーン・スタートアップ」)。あくまでもこのプロセスの目的は「検証」であるため、現実世界における実験からフィードバックをもらい、それを意思決定に反映して、さらに実験を通じて結果を問うというPDCAサイクルが重要となります。
限定合理性の罠
しかしこれは言うは易しで、単に高速に回転させれば済むという話ではありません。システム・ダイナミクス的に考えると、このプロセスには構造的に多くの困難が伴います。
システム・ダイナミクスは、人間の判断や行動が常に完全合理的であるとは限らない、いわゆる「限定合理性」を前提としています。限定合理性とは、情報の不完全さや認知の制約、時間的な制約などの理由で、人間が常に最適な判断を下すことができないという考え方です。「しっかり情報を集めて、論理的に考えれば、正しい答えに達することができる」というのは幻想であるとする考え方です。
PDCAサイクルを回すにしても、それを阻害する要因があまりに多いのです。例えば、(網羅的ではないですが)以下のような阻害要因があります。
現実世界の複雑性:我々が向き合っている現実世界については未知のことが多すぎますし、交絡変数が存在したり、結果が現れるまでに時間的遅れが発生したりします。
認知の歪み・偏見:受け取ったフィードバックに洞察を加えるのも簡単ではありません。「私たちの感覚と情報システムは、経験のさまざまな可能性のなかからほんの一部を選択しているに過ぎ」ず、我々は物事を客観的に見てはいません。また、人間は、実際の世界における因果の複雑性を受け止めきれず、因果関係を直線的かつ一対一対応的な見方をする傾向にあるとされています。加えて、「現在の見解の反証となり得る証拠よりも、見解と一致する証拠を探してしまう」という問題があります。
意思決定の歪み・実行の歪み:適切な意思決定をするのも困難です。検証の結果明らかになった長期的な利益確保よりも、短期的な不利益回避が優先されてしまうこともあります(イノベーションのジレンマなど)。また、適切な意思決定をしたとしても、現実世界においては決定事項が不完全な形で実行されることも多く、これが検証サイクルを妨げます。
PDCAマインドセット
行動量がものをいう
限定合理性の前提に立つと、「しっかり情報を集めて、論理的に考えれば、正しい答えに達することができる」というのは幻想です。情報収集や思考に時間をつかう暇があったら、「考えすぎるより行動と創造力を優先する」ほうが結果に結びつく可能性が高いのです。
これは決して異端な考え方ではなく、以下のように、UBERもこのスタイルで成長したとの指摘があります。
サイエンス(理科の実験)として向き合う
もちろん、闇雲に行動するだけでは意味がありません。仮説を立て、実験を行い、その結果を分析することで、組織としての学習を進めることができます。
重要なのは、「何がうまくいかなかったか」を明確に特定して、当該アプローチにリソースやその後注意を振り向ける必要がないようにすることです。うまくいかなかった方法を除外していき、最終的にうまくいく方法を掘り当てるという考え方です。そのために、事前に仮説を立て、その仮説を検証するための具体的な指標やKPIを設定することが求められることは言うまでもありませんが、加えて、「実験」のスコープ(対象、時間的空間的範囲、その他諸条件)を明快に定義しなければなりません。理科の実験でいう、「条件制御」が重要です。
これができないと、結果の解釈が曖昧になり、何がうまくいったのか、何がうまくいかなかったのかを正確に判断することが難しくなります。また、条件が不明確であれば、学習のプロセスが停滞してしまいますし、意図せずに同じような実験(施策)を繰り返すことにもなりかねません。端的にいうと、事業・物事が前に進みません。もちろん現実世界において完全な条件制御をすることは不可能ですが、可能な範囲でスコープを絞るべきです。
完全な実行の徹底
適切な条件制御をして、適切な意思決定をしたとしても、現実世界においては決定事項が不完全な形で実行されることも少なくありません。
そして、実行が完全であると断言できない場合、得られた結果が仮説の正誤を示すものであるのか、それとも実験の実行に問題があったための結果であるのかを区別することは非常に困難となってしまい、仮説を立てた意味すらなくなってしまいます。これは実質的な手戻りであり、リソースの無駄遣いです。
「完全な実行」を実現するために、スタートアップには盤石なチームワークあるいは一糸乱れぬ統率が求められます。そして、それを実現するための明快なビジョン、行動準則、制度設計も必要です。下記のY Combinatorの動画でも「Great Founders Execute」と言及されています。スタートアップ(の経営陣)のエグゼキューション力が重要なのは、直接的にはそれが事業進捗のスピードに結びつくからですが、仮説検証の精度向上にも大いに影響を及ぼすという側面も多分にあるでしょう。
メンタルモデルの更新を意識する
PDCAを通じた組織的学習が深まるなかで、思考フレーム(メンタルモデル)自体の更新が求められることも起き得ます。
例えば、自社の事業を「SaaS」として定義し、メンタルモデルを固定してしまうと、意識が向くKGI・KPIや、想起される打ち手や組織設計の範囲が(無意識に)限られてしまうのではないでしょうか。
前述のように、人間の認識能力は「大したことない」ので、信じているものを見ることで脳のCPU消費を抑制することができます。これはこれで効率的で、生存戦略としても有効なのですが、抜本的な学習を制限してしまうという副作用があります。スタートアップは正解のない世界で戦っているので、メンタルモデル自体の更新が必要な場面も少なくありません。
例えば、インスタグラムは元々は位置情報ベースのチェックインアプリとしてスタートしましたが、ユーザーの行動やフィードバックを元に、写真共有の機能がユーザーに特に評価されていることに気づきました。この洞察をもとに、彼らはメンタルモデルをシフトさせ、アプリの主要機能を写真共有に絞り込む方向へとシフトしました。提供するサービスを定義ごと入れ替えた結果として、インスタグラムは急速にユーザーベースを増やし、巨大な成功を収めることとなりました。
このように、スタートアップが初期のメンタルモデルやビジネスモデルに固執することなく、市場やユーザーからのフィードバックを真摯に受け入れ、柔軟に事業の方向性を見直すことも重要です。PDCAが前提としている世界観そのものを再学習・更新することがブレイクスルーをもたらすことも多いでしょう。こういった学習サイクルを、システム・ダイナミクスではダブル・ループ学習と呼びます。
前回の記事とも関連しますが、経営会議では、メンタルモデルの更新を促せるようなディスカッションが行われることが理想的です。
まとめ
重要なのは、人間の認識能力の乏しさ、認知の歪み(偏見の強さ)、実行力の乏しさ(ブレ)を自覚することです。
その上で、それを意識的に克服するべく、①行動量を担保し、②条件制御/組織統率を徹底し、③ダブルループ学習を意識することで、真に有効なPDCA/エグゼキューションが実現できるのではないでしょうか。
【参考文献】
- ジョン・D・スターマン「システム思考 複雑な問題の解決技法」
- 西村行功「システム・シンキング入門」
- バージニア・アンダーソンほか「システム・シンキング」
- 湊宣明「実践 システム・シンキング」
- アンドリュー・チェン「ネットワーク・エフェクト」
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