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突然の訃報。イスラムの友人の死と人生の長さ

今日の昼、友人から電話がありました。なんだろ?ご飯の誘いかなと思って出たら、声がおかしい。「旦那が死んじゃったの」

えー!!

「どうして?」と聞くと

「娘がパパを起こしに行っても全然起きてこない」というので、行ってみたらもう冷たくなっていたそう。

彼女はサービスアパートメントを経営していて、アパートのセキュリティの便宜上、友人の旦那は彼女とは別室で寝ていた。なのでなにか異変が起こったとしてもわからなかった。

私は彼とも昔からの知り合いで、何かとお世話になった。寡黙な人だけど、嘘がない人で、自由人の友人にもやりたいようにやらせてくれていた。理解ある人だったと思う。今年、たぶん50歳になったぐらいだろう。

数年前に血圧が高くて、病院に行くことになった。ちょっとメタボだったので、ダイエットして最近はずいぶんとすっきりしていたのに。

ただ、昔からイビキがすごくて、無呼吸症候群だった。それが原因かはわからないけど。

彼はイスラム教徒なので、24時間以内に埋葬されるようだ。

昨日まで普通に一緒に生活していた人が、朝には突然亡くなっていて、悲しむ間もないぐらいに、すぐに埋葬され、この世からその存在を消してしまう....。

イスラムでは死は悲しみではないので、葬式でも泣いてはいけないと聞いたことがある。いい加減なこと言えないので、死生観について調べてみた。

イスラム教では現世と来世があり、今生きている現世は「仮」の世界、「来世」が本当の「生」と考えられています。つまり「死」をはさんで2つの生があるのです。死は来世への旅立ち、通過点であり、人生の終わりではありません。来世は永遠で、天国と地獄に分けられ、どちらに行くかは生前の行いで決まります。終末の日がいつ来るかは、誰にもわかりません。神だけが知っています。終末の日にすべての死者が復活させられ、神の前で審判を受けます。(イスラム世界を知るメディアより

『死は永遠の生への通過点であり、人生の終わり、マイナスではない』。

人間の寿命は決まっていて、神の思し召しによるもの。

今は悲しくても來世でまた会える。

善行していれば天国に行ける。

イスラムの死生観って、私たちをホッとさせてくれるような安心感がある。とくに永遠の生への通過点というのがとても惹きつける。

とはいえ、娘はまだ中学生、息子は大学生で、まだまだパパと一緒に過ごしたかっただろうし、私の友人はこの突然すぎる死をどうやって受け入れていくのだろうか。

一日、一日を生きていくことの大切さや尊さを改めて感じた日。

最後にタイは仏教国と思うでしょうが、私が住むタイ南部は多くのイスラム教徒が住んでいます。





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