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推しの子問題を考える

ご無沙汰しております。
相変わらず炎上事案が多発していますが、今回は大人気作品「推しの子」の問題について考えたいと思います。
経緯は以下をご確認ください。

最早言うまでもないことですが本件における最大の問題は、作品ファンが一斉に木村響子さんを攻撃したことです。
この作品が恋愛リアリティーショーという題材を選んだ当時、木村花さんが亡くなられた事がタイミング的に偶然だったとしても、
今回アニメ化にあたって内容の一部見直しなどが全く考慮されずそのまま放映されたこと、
それに際して制作側が木村花さんの出来事やご遺族についてただの一度も顧みることが無かったのか、最早記憶にすら無かったのか、
それは当事者である制作側にしか分からないことであり、部外者が憶測であれこれ論じても全く意味のないことです。
本件は当事者である木村響子さんと制作側が直接話し合う以外解決方法はありません。例えTwitterという手段を用いて木村さんが思いを吐露したのが発端だとしても、部外者は何を言っても何も解決することなど出来ないのだから、
作品のファンは思うところは各々あったとしてもただ黙って推移を見守るしか無いのです。
にもかかわらず多くのファンが木村さんに反発を表明することで事態を解決しようとしました。身の程を弁えない短絡的で愚かな選択です。
筆者は当該作品を読んだこともアニメを見たこともありませんが、聞くところによると芸能界を取り巻く様々な問題を取り上げ警鐘を鳴らす作品として高く評価されているそうです。
そのような作品に心酔したファンがどうして、現実のネットリンチ被害者に牙を剥くのでしょうか。全く理解に苦しみます。
彼ら自身が己の振る舞いを悔い改めようとしないのなら、ファンを自称する人々にすら大切な主旨を十分に伝えることが出来ない、極めて拙い表現力の作品が何故か大ヒットしたという事なのでしょうか。

糾弾者たちの主張について

「原作の連載開始から構想期間などを考慮すると、木村氏の主張は事実とは考えられない」(1)
「創作が現実に存在するあらゆる災難の被害者に配慮する義務はない」(2)
「見てもいない木村氏の主張は不当なものだ」(3)

反発意見の大半を占めるこれらの主張についてですが、どれも正当性はありません。
(1)は発言者の憶測でしかありません。一般的に想定される構想期間などがあったとしても、作品が完成し発表されるまでに内容を一部差し換えることは幾らでも可能です。現実の出来事を受けて話題性や注目度を意識し、当初は無かった要素を追加することも十分あり得ることでしょう。
勿論それも可能性の話でしかありません。私達部外者は制作の意図について憶測と可能性でしか話を出来ません。だから言及すべきではないのです。
(2)は整合性を振りかざした只の屁理屈です。過去に配慮の要望を受けて対応がなされた前例は存在します。皆さんもよくご存じの東日本大震災の件です。当時の被害の様子や津波の映像がテレビなどで放送される事に強いストレスを感じ苦痛を訴える人達が一定数存在したため、事態を重く見たBPO等の団体から報道機関に要請が出されました。
「ひとつ対応すれば全て対応しなければならなくなる」というのが糾弾者達の理屈なのでしょうがそのような事はありません。実際問題として創作が現実の被害者全てに配慮することが出来なくても、当事者から配慮を望む声が上がれば臨機応変に、柔軟に対応して良いのです。それは決して表現の自由の侵害には当たりません。
出来ること、出来ないことは当事者同士で話し合えばいい。この事案は対応したのにこの事案は拒否された、という事があったとしてもそれは矛盾には当たりません。
個別の事情なども勿論あるのですから、完璧に整合性が取れている必要など無いのです。
(3)に関しては見る必要などありません。実際に花さんと親しくしていた方がアニメを視聴して花さんを思い出し辛くなってしまった、と木村さんは仰っています。既にその事実があるのにわざわざ見る必要があるでしょうか。
「確かめる為に見ろ!」と被害者遺族に強要する事に意義など1ミリもありません。居なくなった大切な人の悲惨な最期を思い出すリスクを強いる権利など誰にも無いのです。あまりにも他人の心を軽んじ過ぎています。

オタクのメンタリティの問題

ここ数年フェミニストによる作品バッシングが多発したため、オタクはこのような作品批判に過剰にナーバスになっています。表現に対する苦言は全て不当な言いがかりだと判断します(その割には自分達が剽窃・パクりだと判断したものは容赦なく糾弾するのですが)。オタクおよびオタク文化を排除しようとする、オタクに対する迫害だと認識する、オタク特有の被害妄想です。
彼らは徹底的に反発する為にあらゆる詭弁と卑劣な手段を講じます。先に述べた整合性を論うのもそうです。そしていとも容易く被害者(=自分達の敵)を攻撃します。架空の物語を守る為に、現実に肉親を自殺によって失った人に嫌がらせをし、罵倒を浴びせ、揶揄し、愚弄します。
そんな幼稚で浅ましい振る舞いを今回に限らず、彼らは何度も何度も繰り返しているのです。
永久に彼らは悔い改めることもなく同じ事を続けていくのでしょうか。何故学習しないのか、私は不思議でなりません。
お気に入りのおもちゃを取られたくなくて癇癪を起こす子供と同じです。子供なら許されますが分別のつく年齢なのですから、他人を傷つけ、迷惑をかけるなど以ての外です。社会性が著しく欠如した彼らの価値観に、社会が合わせてやる義務などありません。

冒頭にも述べましたが最早本件は当事者同士の話し合いによってしか解決する術はありません。
どのような形であれ、木村花さんを愛した人達が納得した上で作品が存続する結果になることを願います。

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