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反動期の高校演劇 2

反動期の高校演劇〜「らしさ」をつくるために〜

⒉ 高校生らしさ、それは疑うことを知らぬまっすぐさ、ひたむきさ!

    一つだけ例を挙げる。2017年の全国大会(宮城大会)最優秀作、兵庫県立東播磨高校上演の『アルプススタンドのはしの方』は、高校野球県予選の試合をアルプススタンドの端で観戦している高校生4人の話で、舞台設定の妙、巧みな導入、計算された笑いの間、後半の試合展開に観客を引き込む仕掛け等、最優秀にふさわしい内容だが、一方で、高校野球や高校生を取り巻く現実については疑われることがない。

    「なぜ高校野球は県予選でも多くの生徒が応援に駆け付けるのか?」「甲子園ともなれば全校生徒の応援が事実上義務づけられる学校もあるが、そんな部活、他にある?」「高校野球だけ、メディアへの露出、多すぎないか?」といった疑問は不問に付され、登場人物の内の演劇部員2人は、高校球児の熱闘を見習って(!)、私たちも全国大会出場を目指そうという運びになる。「高校生らしさ」爆発だ。それも大人が観て安心する「高校生らしさ」。そうして「部活カースト最上位の野球部を見習い、やる気を出す部活カースト底辺の演劇部」という固定観念が拡大再生産されて行く。

    そこでは高校野球の世界で長年指摘されている、将来有望な投手の肩を壊しかねない投球過多の試合日程や、近年特に必要に迫られているのに不十分な熱中症対策といった諸問題は、「高校生の熱闘、その汗と涙」式の美談にかき消されて行く。

    1984年の全国最優秀作、徳島県立日和佐高校『劇闘  日本の夏』が、高校野球に代表される部活動に色濃く残存する戦時下の軍国主義の影(戦う男、祈る女、監督の命令は絶対という上意下達の組織等)を見抜き、批判的描出の対象にしていたことを思えば、今昔の落差を思いやらずにはいられない。

    そして、それは高校演劇だけの問題ではなく、社会全体が反動期に突入している現実の反映であろう。

※『アルプススタンドのはしの方』という作品の価値自体を否定しているのではありません。そんなことは原理上、誰にもできません。まして揶揄する意図は一切ありません。批評は多様です。社会批評の観点から論じると上述のように考えられ、そしてそれは、私の価値観や人生観に照らして、どうしても譲れない判断であるということです。 舞台だけではなくその批評にも、表現者の信念が賭けられているのです。( 3に続く )    


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