「みんなの時間」のための「ひとりの時間」

地方で暮らすメリットの一つは、自分と向き合う時間が増えることだ。

東京にいた頃は、楽しむ場所も沢山あったし、遊ぶ友達もいたし、退屈することは無かったが、退屈を駆逐した結果、「自分は何が好きなのか、何をしたいのか」というような価値観がよくわからなくなった。

飲みに行っても、その場の雰囲気に合わせた当たり障りのない話をして、盛り上がったとしても、翌日には何を話したのかよく覚えていないようなことが多かった。そもそもの「語りたいこと」がないのだから当たり前だ。そして、そんな経験をずっと続けていると、人に会うのが少し億劫になってくる。

一方、田舎での暮らしは、退屈な部分がほとんどだけど、良くも悪くも誘惑が少ないので、一人でぼーっと色々考える時間がとれる。周りの意見に流されず、自分の価値観にフォーカスを当てることができる。こうやってnoteでの投稿が継続できているのもそのおかげだろう。

すると、面白いことに、また人に会うこと、話すことが楽しくなってくる。

もちろん普段人に会うことが少ないからこそ、たまに会うのが楽しいみたいなこともあると思うが、それ以上に「語りたいこと」が明確になっていることがポイントなんだろう。

自分の中で語りたい一本の軸ができるからこそ、たとえ相手が別意見だったとしても、その差分がハッキリ分かったり、見落としていた観点に気づいたりと、コミュニケーションの密度が上がる。おお、お前はそう考えているのか!という楽しさがある。

「ひとりの時間」があるからこそ、「みんなとの時間」をより一層楽しめるのだ。

これからまた東京で働いたり、慌ただしい環境に身を置くことになるだろうが、そんな中でもひとりの時間は確保するようにしたい。「自分」も「みんな」も好きでいるために。



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