#59 お金と登山の幸福論
お金は不幸を埋めてくれるが幸福を生み出すわけではない。
そんなニュアンスのことをどこかしらの記事か本で見かけた。たしかに、と膝をうった。
お金がもつ課題解決能力は非常に高い。個人でみても社会でみても、お金によって解決する問題は限りなく溢れている。
ただし、その課題が解決することと、それによって幸せが生まれるかというのはまた別問題だというのが冒頭の提言だろう。ご飯が食べれないのは不幸だが、ひとりでサプリメントみたいな食事をひたすら取り続けるのが幸せとは思わない。
なんとなくお金の役割は「穴を埋めること」だと思う。一方、幸せとか満足感というのは「山を登っていくこと」、「誰かと一緒に登ること」もしくは「自分で山を作ってしまうようなこと」からしか感じられないのではと思う。
要するに、「お金があっても幸せになれない!」「いやお金がないのは不幸だろ!」というよく見かける議論は、それぞれ相反する主張のように思えるが、どちらも正しいのだ。不幸でないことと幸せであることはイコールではない。
穴が空いた道をひたすら歩いていくのは、しんどい。ストレスも溜まるし、怪我をしてしまうかもしれない。お金をかけて穴を埋めていきたいと誰しも思うだろう。
そうして綺麗に舗装された道路ができる。確かに歩くのは楽になった。ただそこを歩き続けるのが楽しいかはわからない。不幸ではないだろうが幸せかはわからない。
どうせならちょっと山を登ってみたくなる。近所の裏山でもいいから。
好きな人たちと一緒に。
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