「運命」を信じるか

【アイルランド留学195日目】

語学学校の授業中のトピックについて、それぞれの国の傾向や一般論について聞かれることがあります。

休暇の過ごし方、働き方、結婚や家族についての考え方、新しいテクノロジーに対するスタンス、、、など色々あります。ただ、急に振られても、正直、「日本全体の見解はわからないなぁ」となって、とりあえず自分が思うことを答えて乗り切ります。

先週の授業では「運命を信じるか」みたいな話になりましたが、それこそ知らないわという感じでした。笑

運命って、宗教的な価値観に深く結びついていると思うので、なかなか難しいトピックですよね。イスラム教は、世界で起こるあらゆる出来事は、アッラーによって全て定められていて変更不能、という考えとかあるみたいですし。

運命というものが存在するのかどうかはよくわかりませんが、ふと思ったのが、もし運命が存在しないのであれば、自分の努力や行動によって望む未来を目指すことができますし、運命が存在するとしたら、良くも悪くも何をやっても結末は変わらないということなので、その時やりたいことを好きにやればいいんじゃないかと思いました。笑

また、個人的に思うのは、運命という概念を完全に否定できない理由は、そうでもないと説明がつかないような奇跡的な出来事があまりにも多すぎるからではないかということです。昨日ダブリンで出会った友達と話しながらそんなことを思いました。

そもそも私が語学留学先をダブリンにしたのも、過去にダブリン留学の経験があった友達におすすめしてもらったからです。そして、その友達は、就活中のインターンシップで出会って仲良くなった友達の紹介で出会ったので、その時点で結構な確率です。

就活を選ばずに大学院に行っていたり、その企業のインターンシップに申し込まなかったり、その友達が開いた飲み会に顔を出さなければ、ダブリンのことを教えてくれる友達に出会うこともありませんでした。

さらに深掘ると、そもそも東京の大学に進学したのも、高校生の時に家族旅行で地元の岐阜から東京へ遊びに行った時に「ここに住みたい〜」と思ったことがきっかけで、それまではなんとなく京都とか大阪とかに進学しようと思っていました。その旅行がなかったら、また行く大学も出会った人も選んだその後の進路も何もかも違ったと思います。

他にも、思い切って仕事が辞められたのも、社内で表彰されるくらいの成果が出せてある程度の自信がついたことも大きかったのですが、その表彰のきっかけとなった大口の案件も、「今日このテストシステムがうまく稼働しなかったら他社の方を受注するよ〜」と客先からプレッシャーを与えられるほどかなり分が悪い状況の中、客先の就業時間の10分前くらいに、バグを解決する方法を突然思いついたことで、なんとかギリギリ受注できたという綱渡りみたいな経験でした。

あのよくわからない謎のヒラメキがなかったら、失注し、社内での立場も気まずくなり、自信が持てずそのままずるずる働いていたかもしれません。もしくは、逆の意味で辞めていたか。

そんな偶然に偶然を重ねてたどり着いた果てしない確率の中での出会いの必然性に理屈付けるとしたら、「運命」という他にないのかもなぁと思いました。

よくよく考えると私たちが今この世に存在していること自体がとんでもない確率ですもんね!!

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