私の人生経験に足りないもの

「昨日嫁がお疲れ様とケーキを出してくれて感動した。裏切れないなと思った。」

という話を聞いて、なんだか悲しくなった。
この人と距離置こうかなって一瞬考えてしまったくらい。

その人の純粋さが眩しくて。

私なら、ケーキ出されたら「そういうのやりたいだけでしょ」って思っちゃうから。
・やってる自分が好き
・やってあげるべきと思ってる
・やることで相手の気持ちを自分に繋ぎ止める
・見返りを期待する
これらの計算を無意識でやってそうしたんだろうなって。
けれどそんな事言ったら人は離れていくのも知ってるので、ありがとうと喜ぶフリをする。

だから「素直に感動した」と言えるその”心”が、それだけ相手を信頼できることが、自分には無いものだ、と心底感じた。

多くの行動は自分への見返りを期待した打算から生まれる。そう心の底から思う自分はサイコパスかな?と時々思うけど、マイノリティの気持ちにはヒドく敏感だったりもするので単にマジョリティの気持ちがわからないだけかなと思う。

それゆえ考えが周りとズレてて、周りはよく私の気持ちを誤解する。逆に、周りがする世間話の「こう思うやんかー」は共感できない事が多い。そんな私がマジョリティを羨んだところで、同じ喜びが同じ方法で手に入るわけはなく。

それでも、他人の施しに感動できるような心を羨ましいと思ってしまうのは、何故だろう。

遠い昔の記憶。友達家族が笑い合ってるのを見て、衝撃を受けた事。
一方で自分の家族にはそんな笑いあいが1ミリも存在しなかった事。
家族愛をこいねがった時の気持ちをまだ持て余しているのだろうな。

諦めるしかないけどね。あと百回くらいこの症状を繰り返せば、諦めがつく気がする。

いいことも悪いことも全ては一瞬。その一瞬に感謝して。一期一会。見返りを期待しないで。ずっと続く事なんてないんだから、と、この世の誰にも執着しなくなったのは、こんな人生だからこそ得られたと思ってる。

あとね、そうそう、悲しかろうが苦しかろうが泣けるのは幸せなことだ。
不安のない安全で安定な世界でいることは最もつまらない。人生には波があったほうがいい。

他にも色々思ったけれども長くなるのでこのへんで。

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