SDGsを達成したいのなら時代を後退させなければならない。

SDGsが最近のトレンドらしく、つい先日もCOP26がイギリスで開催され、地球環境についてさんざん話し合われたらしい。その中でインドとイギリスが石炭使用について揉めて宣言採決に遅れたなんて話も聞いた。

これを見て思ったのは、イギリスなんて産業革命以降、一番石炭の恩恵を受けてきたのにどういうこと立場でものを言っているんだ、ということ。

しかもインド植民地にしていただろうが。

発展途上のかつての植民地国家は欧米に温暖化についてとやかく言われたくないだろうといつも思う。強者が弱者にものをいう時代に終わりはない。

さて本題なんだが、本気で持続可能な開発が可能だと思っているのか。

そもそもどれくらいの未来を見越して話を進めているのか。2050年、2060年なんてものすごい短期的な話だぞ。

そもそも人間ってどれくらいまで生きながらえるつもりなのか。ガンダムじゃないけどやがて地球が人の重みに耐え消えなくなる時代は遠い未来じゃないだろう。

文明を退化すれば美しい地球のまま住める。

地球の人口は増え続け、食料が足りなくなり、電気料金は高騰する。これはまぁわかりきっている未来なのだが、人間ってそもそも発展し続けないといけないのか?

あまりにも便利になりすぎて忘れかけているけど、最低限の暮らしでも十分に幸せと感じないか?

家族がいて、話をする。ご飯を食べる。排泄物を出す。これだけで幸せなんだよね。

世の中には余剰な幸せがあふれている。それは文明が生み出した富だ。

私は提案したい、資本主義の原則に沿って便利さ豊かさを追求し続けるよりも最低限の暮らしを守り、みんなが平等に貧富の差少なく楽しめる社会を。

そのためには現代の政治システムのまま、暮らしのレベルや電力消費を抑えるコンパクトシティ計画が必要だと考える。文明を退化させる。

人口の分散とスマートシティ化計画

富が集中しているということは人口が集中しているということだ。国家行政が安定している国に移りたいと思うのは誰しもがそうだと思う。誰がタリバンが支配しているアフガンに行きたいと思うのか。

結局は世界国家、世界政府なる統一組織を作りしか他ないのだが、言語も共通していないためまだまだ時間がかかるだろう。文化や習慣を変えることは非常に困難だ。

自分が提案するのは、人口分散とコンパクトシティ化である。

現在は人の居住等はすべて自由なのだが将来的には一定の制限を設けたほうが良いのではないかと考える。人口流出を考えるとこれしかない(憲法を変えないといけないけど)

そして日本で例えるならそれぞれある地方都市に人口を分散させてバランスの良い人口配置に作り替え、できるだけ車が必要ない、利便性の高い街づくりを実施するのはどうか。

そしてここからが肝心なのだが、ゆっくりと文明を後退させていく。

人間の着地点を幸せに導く

永遠に人間が幸せにいるなんて無茶すぎる。現在でも貧富の差が激しく憎悪がはげしく渦巻く社会になっているのに。

よって先ほどの話の続きなのだが、2200年くらいをめどに昔の生活に戻していくという試みだ。

というか資源が枯渇していると思うし、原子力発電とかでしか電力を賄えないのではと考える。

江戸時代のようなろうそくに灯を燈して暮らす、質素で素朴な生活に戻していくという考えである。

これこそがSDGsだと思うんだが、無理だろうね。人間は欲で動く生き物なので退化なんて認められないんだろうと思う。

我々の子孫が幸せに”人間”をたためるために我々は一つ便利さを追求することをあきらめればならないのではないだろうか。

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