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どんなにヘナチョコでも、前に進むことはできる。のび太が映画の中で、スーパーヒーローになるように。


↑ の続きです。


私の中に長い間あった、その疑問とは、
ヘナチョコの中にも、人生が前に進められる人と、そうでない人がいる。

その違いは何か。ということ。

申し訳ないけれど、全世界の全ヘナチョコを応援できるわけではないので。互いの心の平和のためにも、そのへんの違いを見極めたいとずっと思っていた。

ヘナチョコを改めて定義すると・・。
メンタルが弱かったり、体力がなかったり・・・。苦手なことが多かったり、要領が悪かったり、人が怖いくせに、人にかまってほしい・・みたいな、あきらかに、ドラえもんでいうところの、のび太くんみたいなケースと、内面はのび太くんなんだけど、その自信の無さを隠すために虚勢をはって頑張ってきたケースに分かれますかね。


どっちにしても、本質は、要領があまりよろしくなくて・・。
スマートにぐんぐん前に進めずに、納得できなければ動けない。
だから、あっちふらふらこっちふらふら、ヘナヘナチョコチョコとした進めない、みたいな人のこと。

生まれてきた目的は? とか、宇宙ってどうなってるんだろう? 死んだらどうなるの? みたいなことを小さな頃に考えて、周囲に言ってみたら、ヘンと笑われたり、周囲からみたら、めんどくさいタイプ。

あきらかに、のび太っぽい人とそうじゃない人との違いはあっても、どこかにそれが潜んでいるのがヘナチョコ。

いずれにせよ、ジャイアンでも出木杉くんでもないが、スネ夫ほど姑息ではないし、しずかちゃんほど、かわいこぶってない。
(というか私に関しては、しずかちゃんのように可愛いくない、が正しいかも。だからかわいこぶってもキモイだけ。しずかちゃんを妬んでいるだけとも言える)

のび太くんもといヘナチョコちゃんたちはみな、多分どこかで出木杉君に憧れているし、ジャイアンを見返してやりたいとも思っている。

だから必死で努力して、コンプレックスを押し隠し、出木杉くんの仮面(学歴とかキャリアとか)を手に入れて武装できれば、私のような隠れヘナチョコの働きマンになるし、努力するほどの体力気力がなく仮面が手に入らなければ、正統派のヘナチョコとして生きていく。

仮面をかぶろうがなかろうがヘナチョコの本質や習性は同じ。

自分にどこか自信がない、がゆえに、自分以外の何かになろうとしてしまう。そして多かれ少なかれ、そこに自覚するまでは、必死で別の人間になろうとし続けて、大人になったら、その願望を成就すべくセミナーなどにさすらう。

そして、そのさまよう先では、さまざまな別の世界の人たちに出会う。
ピンヒールを履いたキラキラな女起業家や、ひよこ食いが本業の自称集客コンサルや、信者にして依存させぼったくるスピリチュアルなんとかか、
あるいは、舶来の学術的なメソッドが大好きな意識高い系の人々の集まり。

これらのセミナーで人生大逆転できればいいのだけれど、ヘナチョコたちはどこまでもマイペースなので、残念ながら、そのどの群れでも、うまくなじむことができない。

自分なりに一生懸命あわせようしつつ、違和感がぬぐえない。
なんか違うと。言葉が通じない。そしてそんな自分を騙せない。

隠れヘナチョコたちは我が強いので自分から離脱していくことが多いが、正統派ヘナチョコはうっかりすると、資格販売ビジネスの獲物としてカツアゲされ骨抜きにされるという報告も多数聞いている。

どちらにしても、そういう場所を経て、どういうわけか私を見つけてふらふらとやってくる方が多い。これこそがまぎれもない引き寄せの法則で、私がヘナチョコだからに他ならない。隠してたのに! みんな嗅覚よすぎ!

こんなふうにヘナチョコをこき下ろしつつ、でも、私がヘナチョコの応援がとても大好きなのは、自分もヘナチョコだから、ということもあるが、
ヘナチョコ軍団の中には、宝石の原石のような輝きがある方がたくさんいらっしゃるからかもしれない。


講座を正式に主催するようになって約10年。
看板講座である、自分の神話塾は、この3月で45期まで開催する中で、
そうやって駆け込んでくださるヘナチョコたちとのやりとりを通して、たとえどんな瀕死の状態になっても、どれほどヘナチョコであっても、それでも雑草のように力強く生きようとする意志さえあれば、絶対に大丈夫だと私は断言したい。

自分の神話塾では、これまでの人生を語っていただく時間がある。

中には、「いったいそれはどこの国の、何時代の話なんですかー?」と、自分の耳を疑うような、壮絶な幼少期を過ごした方もいらっしゃる。

そういう方々の人生が停滞し続けてきたことには、もちろんその生い立ちが全く関係ないわけではないし、生い立ちや、さらには、それによる不当な差別や蔑視という二次災害、三次災害の被害にあい心が折れかけるのは当たり前と言えば当たり前。

そしてそれでも心の根っこが強くたくましく前向きに生きようとする方が、私のところにやってきてくださることに本当に感動する。

そういう方のお話を聞いていると、その方への敬意と感動で胸がいっぱいになる。

そういう時、私はその敬意や感動を素直に言葉にするようにしている。というか黙ってられなくて口から出ちゃうだけだけど。

でもそうすると、その方の何かがほどけたり、救われていく、みたいなことがどうやら起こる。そしてそれをきっかけに、人生をたくましく朗らかに進んでいくこともある。

これは私が意図的にやっているわけじゃなく、ご本人の心の美しさのなせるわざで、そしてそれこそがまさに天のはからいだなと思う。

そう!
本人がそれを言い訳にしなければ、どんなにヘナチョコであっても、どんな過去であっても、人生を前に進めることは可能なのだ。

のび太が映画の中で、スーパーヒーローになるように。


だから私は、いわゆる幼少期が人生のすべてを左右する的な「愛された経験がない人は鬼になる」というような説は、まっこうから異を唱えたい。

それを言っている人の多くが、本で読んだ程度の場合が多いから、まったく説得力を感じない。そんなの机上の空論、統計上の理論でしかないでしょと。

そんな救いのないこと言ってんじゃねーよ。
事件はデータや書籍の中ではなく、現場で起きてるんだよ!・・・
と、織田裕二さん扮する青島刑事にご登場願いたい。


仮に愛された経験が全くなかったとしたって、
これから愛されればいいんじゃないの!
人に未来勝手に決めんなよ、占い師かよ!
心腐ってんじゃないの?ボケ!


自分が10年以上にわたって本気で人とかかわり続けた現場経験から鼻息荒く物申したい気持ちは山々なのだが、
いかんせん私は隠れヘナチョコなので、いざ著名な心理学者の先生の前に出たら、そういう時はドラえもーん、と呼ぶか、いやぜひとも青島刑事に付き添ってもらいたい・・・とかなんとか言って、偉い人にタンカ切るのは子どもの頃からなんともなかったので、ひよわぶって織田裕二さんに会う口実を作っているだけかもしれない。東京ラブストーリも好きだったし。


と・・・くだらないことばかり頭に浮かんできて、話がちっとも本題に進まない・・・。きっと核心をつくのが怖いんだろうか、ヘナチョコなだけに・・ので、もうちょっと続きます。

だって、肝心の、人生が前に進むヘナチョコとそうでないヘナチョコの違いにちっとも触れていないんだもの。

以上二回表終わり。次の打席までお待ちください。

この回で一番言いたかったことは。どんなにヘナチョコであっても、自分がその気になれば、人生を前に進めることはできるよ、ってことですね。
のび太だって、いざって時は、スーパーヒーローになれるんだもの。


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