とくにない休日
うだつの上がらない休日を過ごしてきました(休日失格)。太宰を読んでいないのに定型文だけを覚えている薄いオタク。
なか憲人先生の『とくにある日々』を読んだ。なか先生は「犬のかがやき」としても(としても??)、Twitterにエッセイを上げていてファンだ。なんなら以前の単行本も持っている。日常の中での小さな発見・考察・発展(改造?)が気持ちいい。自分の中の認識自体に小さな改造を施されているような気持ち。
コロナの自粛で中高生がとにかく生活に「被害」を負っているというツイートに引用でツイートした。
それは貴方の価値観でしょ 嘆いている人に対しては何の意味もない言葉なのにね 愚かな発言
自分語りキモすぎる そういう話じゃないだろ
順当に怒られてしまった(元ツイから要約)
自分語りか〜、自分語りだな〜。自分としては、「だから振り回されている今の中高生はとにかく不憫だと思う」としたかったけど、「嫌なら早く大人になることだ」みたいな捉え方も出来るな、と思った。これはもう仕方ないのです。
それはそれとして、今ここで「意味のある言葉」とはなんだろうか。僕も重症化リスクの比較的低い若者が自粛による影響を大きく受けている(成人や老人に比べて選択のマシな代替がない)と感じている。この人の言う「意味がある」とはたぶん「今辛い思いをしている若者のためになるような」という事だと思う。
「コロナが落ち着いたら〜」という言葉が慰めや解決にならないのは、まぁそうだろうなと思う。「今この瞬間」の価値は若者の方が大人よりも高いだろう。彼らにしてみたら「今この瞬間」でなければいけないのだ。今求められているのは慰めではなく、もっと建設的な「自粛のあり方」を問い直す具体的な活動なのだろう。SNSで疑問を呈している人も多々見るが、Twitterで呟いてファボを貰って溜飲を下げていても実社会への影響力は少ないのだ。悲しい。だからここで指す「意味のある」ことは、署名活動やデモなどになってくるのだろう。しかし普段生活をしている中でそうした活動のハードルは高いし、苦しむ若者に嫌われないためには、関わる話を下手にするより、黙っているか、慰めの言葉に留めておくしかないのかもしれない。社会に訴えるような活動、難しいですね。みんな頑張ってなんとかして!、とみんな思っている。日本人的って言われるやつだなー。
若者ら数百人、深夜の沖縄署囲み騒然 眼球破裂は「警官暴行か」情報拡散
そういう意味ではこのニュースは「日本っぽくない」と感じた。この二極の間にもっと選択肢があって欲しいな、という願いは持っている。みんな持っているんだろうな。難しいね。
「患」みたいな串屋の看板。
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