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ペンギンの頭からパイナップルが!?

頭がいっぱい。

小学生の頃、後部座席から運転している親にちょっかいを出していたら、「腕をいっぱい出すな」と言われて「腕は2本しかない」と返した。親にウケた。今ならたぶんTwitterでパズろうとしていると思う。

つまり「頭がいっぱい」も、急に頭が追加で幾つか生えてきた訳ではなく、頭の中がいっぱいという意味である。

本を読んだり映画を観たり、という意欲が減退してきたのを見るに、またアウトプットの時期に来たのかもしれない。とりあえずボックスと化した頭の中身を少しずつ取り出して整理整頓する時期なのだ。全体的に断捨離すべきなのかもしれない。

最近はCraiyonやAIピカソでペンギンとパイナップルを組み合わせていた。読書欲が減退しているためである。元々ペンギンにパイナップルを持たせたかったのだが、気がついたらペンギンの頭からパイナップルが生えていた。ペンギンパイナップル。
ペンギンパイナッポーパイナッポーペンギン。
PPPP。

AIアートって「ゴッホみたいな絵が描けるようになったらしい!」ぐらいだったのが、「文字情報から自動描画できるようになった!」になっててすごい。それも初めは強めのGPUを積んだPCとか、会員専用サービスぐらいだったのが、わずか数日でLINEやアプリで簡単に作れるようになってるのもすごい。全部すごい。僕が観れていないところで、昔からこういう技術蓄積とかはあったんだろうけど、体感としてはAIアートが出てきてから、本当に一瞬で個人が簡単に作れるレベルになったように見える。

やっぱり「文字」から「像」を結ぶっていうのは、人にとって使い勝手が良かったんだろうか。自分がイメージしたものを上手く言語化する能力が、これからのAIアート時代には重要なのかもしれない。今はまだAIに向けて適切な言葉を選ばないといけないから、翻訳能力に近いが、すぐにイメージとの誤差もなくなっていくんだろうな。

プロのレベルでは言語化能力が問われるが、一般レベルでは文章を入れた時に、AIから「これはイラスト風ですか?写真風ですか?」「ペンギンがパイナップルを持っていますか?ペンギンとパイナップルが一体化していますか?」と質問してくれるようになるかもしれない。アキネーター的な。的ネーター。

midjourneyでは英語文しか使えないから、「日本語をdeeplで変換して…それをコピペして…」みたいな手順を踏んでる人が多かったのも面白かった。道具を使うための道具。日本語を読み取って描画する方法を考えるより早い気がする。頭がいいと思った。
AIアートで出来ることが増えていくのを見るのは楽しいし、社会がガラッと変わってしまうような大変革を期待している。見てみたいから。

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