就活と恋愛と自分自身の確立⑥~承認欲求~

私が上手く自分の気持ちや意見を言えないのは、もうひとつ不安に思うことがある。
「わがままに思われるかもしれない」

「わがまま」と「素直」
またこの2つも似たような言葉でややこしい。でも、この2つも喧嘩と議論の違いと同じようなもので、相手の事を考えているかどうかでまた違う。相手の行動も予測せず、自分のためだけに気持ちを押し付ける。そしてそれが過激になれば「束縛」という言葉に変わるだろう。
でも、先程書いた「わがままに思われるかもしれない」これも"わがままの一種"だ。相手は心を開き自分の話を聞こうとしてくれているのに、それを言わないのは「素直ではない」ということになる。これもまた難しいところである。
頭では理解したつもりだが、行動に移すとやっぱり上手く表現できない。これが当然だ。私も実際にこの壁にぶち当たっている。乗り越えるのもかなりの時間を要するだろう。相手の気持ちを汲み取ったつもりが、反対にそれは相手を傷つけることになっている、そんな感じだ。

併せて
「相手に認められたい」
という気持ちも強まる。つまり"承認欲求"だ。相手に受け入れてもらうためによく話を聞こう、という考えが私のどこかにはあった。でも私自身、小さい時から褒められる経験がそこまでなかった。20代となった今、それに飢えているのかもしれない。もっと人に愛され、認められ、褒められたい…そんな気持ちが募りに募り、気付けば過剰なほどの承認欲求が芽生えてしまっていた。

「誰かの一番になりたい」

心の底から湧き出るこの一言。あまり表には出さないようにしているが、それをグッと抑え込むとまた精神的負荷がかかる。私は人一倍嫉妬心が強いと思っている。私が親友だと思っていた人が他の子と遊んでいるのを見たり、私を含んだ仲良しグループの中で私以外の仲間が遊んでいるのを見たりすると、少し心が痛む。

「うちがおらんでもいいんや…」
「うちってそこまでの存在やったんや…」
そう感じるのが多々あった。相手にはそんなつもりはないかもしれないが、私自身スケジュール管理をしっかりしすぎて予定を詰め詰めにする癖がある。それによって中々時間を合わせられない。それなのに、勝手にこんな思い込みをしてしまって1人で辛くなっている。
いよいよ、彼にもその気持ちを向けてしまったことはある。上京してから彼が友人(男友達)と遊びに行くと連絡があった。私はその時人との関わりを減らしていたこともあったので寂しさが異常なほどあった。
「なんで…なんでうちが一番じゃないの…」
この気持ちが段々と強まり、結局は泣いてしまう始末。彼もさすがに気に掛けてくれたようで、電話をかけてくれた。嬉しさ、というより情けなさで涙が止まらなかった。でも、彼は親身に私の話を聞いてくれた。

「誰かの一番になりたい」

奥底に秘めていたこの想いを、初めて人に打ち明けた。多少の恥ずかしさはあった。でも、彼だから言おうと思えたし、言った時は自分自身のモヤモヤも消え、スッキリした気分だった。
友人関係のことも話し、とにかく話を聞いてもらうことにした。彼は全く否定せずに全て聞き入れ、その上でアドバイスを投げ掛けてくれた。

まだまだ不器用ではあるが、少しずつでも自分の気持ちを明らかにすることが出来ると、それは成長、つまり確立に繋がるのではないか、そう思いながら私は努力を続けている。