「しろいろの街の、その骨の体温の」を読んで

皮膚の内側で否応なしに成長する骨の、皮膚を裂いてくるような痛みを感じる本だった。


この本からはノスタルジーを感じるような描写はほとんどない。温かみもなければ色も白色、そのおかげなのか登場人物の色が、個性がくっきり感じ取れる。

物語はニュータウンに住む少女の群像劇。どんどん土地開発は進み、新しい駅が建ち、同じ形の同じ間取りの家が立ち並び、子供の秘密基地的な裏山はこぎれいな公園に変わり、どんどん伸びていくその白と、成長していく少女の皮膚の内側で伸び続ける骨とリンクされて物語は進んでいく。

このままどこまでも伸びていくと思っていた街の白も、費用がかさみ、出来るはずだった隣の駅も開発中止になり、開通するはずだったトンネルもその枠組みのみ残されたただの石の壁で止まる、そして主人公の成長も、お世辞にも完成形と言えない状態で成長が止まってしまう。


それでも止まらないのは年齢だ。中学生になった少女はヒエラルキーを意識して、自分の身分にあった行動、意見、恰好をする。その目に見えないヒエラルキーによって自分の価値観も無下にし、日々を何とか過ごしていく。

教室内を漂う不気味な価値観。一番上に属する人たちによって何となく伝播し、みんなで作り上げた価値観のなかで、少女たちはしっかりと愛され、しっかりと感動し、しっかり傷つくことさえ忘れてしまった。他人に「ブス」と言われようと自分のために血を流して痛がることもできない。この「痛がることができない」とは誰かによって許されていない、というわけではなく、痛がる方法が分からないというイメージだ。

そして少女はその鬱憤を、幼い時に持っていた性欲とも言えない欲望を、おもちゃである伊吹に時々ぶちまけた。小学生の頃は、訳もわからない欲望からくるものだったが、中学生になってからは自分を傷つけるためにおこなっていたように感じる。また、そんなひどいことをした自分にも嫌気をさしてしまうという悪循環から抜け出せなくなっていく。


物語の終盤で起きたある「きっかけ」を機に、自分の価値観の変遷からラストまで圧倒的だった。


我々は自分の価値観を大切にしているだろうか、「綺麗」と口に出したその言葉は本当に自分の心から湧き出た言葉なのか。


作者はその目を背けたくなるような物語を見せつけてくる訳でもなく、ただ淡々と書いている。きっと作者も自分の身を切りつけながら、血を流しながらこの物語を書いた気がする。そして、読者にどこまでも寄り添ってくる。この本はすべての人に手に取ってほしいと思った本だった。


皆さんもご自愛ください。

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