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人を傷つけずに意見を言うには?辻愛沙子さんのトークイベントに参加してみた

人の気持ちを大切にしながら、自分の意見を伝えるにはどうすればいい?

母親アップデートコミュニティー(HUC)の3周年イベントに参加しました。参加したのは辻愛沙子さんと語る「母親アップデート」というトークイベントです。

HUCはWeekly OCHIAIから始まったコミュニティー。一人ひとりのアップデートが社会のアップデートにつながるというコンセプトで立ち上がった、オンラインのご近所システムです。

「同意」と「共感」は別物

トークは主に次の2つのテーマについて進行していきました。

  • 母親という存在や子育てへの社会の”呪い”はどうすれば解けるのか

  • どうすれば自分の意見を持てるのか

私のとって、特に印象に残ったのは自分の意見を伝えるときにはagreeとunderstandを切り分けるという部分です。

辻さんが例として挙げたのは、子どもが友達と学校でケンカしたときの親の反応でした。

ケンカの事実を取り出して、「友達とは仲良くしなければいけない」と怒るのは教育的には間違っていないでしょう。けれども、「なぜケンカしたのか?」を聞いてみると、違う反応の仕方があるかもしれません。

子どもが手を出したのは、「お母さんが作ってくれたお弁当をバカにされたから」だったら、親は怒れるでしょうか?

その場合、アクションとしてケンカをしたのはよくないけど、怒る気持ちはわかるよ、と伝えることが大事なんじゃないかという話です。

自分の意見を持つ・表明することも、これとつながっています。

こういう類の話って、人によって正解は違うとか、ケースバイケースというところに落ち着きがちです。でも、それってわざわざ物事を複雑にしていると私は思ってしまうんですよね。

判断基準は?とか、例外が認められるのはどういうときか?みたいなことになってしまうので。

少なくとも子どもを持つ親としては「きちんと心情に理解を示しつつ、行動としては適切ではない」ということを伝えることが大事なのではないかと。原則なしに、例外を教えても判断できないと思うからです。

「気持ちはわかる」と言われれば、たとえ怒られても子どもは受け止めやすいし、頭ごなしに「ダメ」と言われるのと比べて関係も傷つきにくいですよね。

「当たり前」が自分が縛る呪いになっている

母親アップデートコミュニティが生まれた背景には、私たちの生きにくさがあります。

生きにくさの正体は何かというと、知らず知らずの間に自分でかけ続けている「呪い」であるとHUC発起人のなつみっくすさんは言います。

呪いの正体は、子どもの頃からの刷り込みなんじゃないかと私は思っています。

たとえば、女の子の持ち物はピンク、男の子は青とか。

女の子が虫を退治したら「すごっ。強っ!」って言われるけど、男の子が虫を怖がったら「意気地なし」と言われるとか。

親も保育園や学校の先生も、無意識にそういう声かけをしているのではないでしょうか。

言われ続けるうちに、本人もいつの間にか「そういうもの」だと思うようになっています。

そして、まさにそれが自分自身を縛る呪いになってしまっているわけです。

男女に関わるものだけでなく、世の中には「そういうもの」がたくさんあります。

みんなが当たり前に受け入れている(ように見える)ものに違和感を覚え、口にする人はめんどくさがられます。

なぜなら、私たちは「人様に迷惑をかけないように」とか「人の気持ちを考えて」と言われながら育ってきたからです。意見を言うことは「反対」ととらえられることも少なくありません。

だから、人を傷つけないように、相手の気分を害さないようにすることが優先されています。

腹の内では違うと思っても「わかるー」とか「だよねー」とすることが何よりも大事。

でも、それでいいんでしょうか?

一方、「わたしはこうしたい」だけでも、物事がうまくいくことはありません。自分のやりたいことだけを主張するのも、空気を読んで心にもないことに同調するのも、違うのです。

じゃあ、どうすればいいの?

ということで役に立つ考え方のひとつが「agreeとunderstandの切り分け」なんだと思いました。

そう行動したくなる気持ちは理解できる。
でも、本当にそれでいいの?
それはあなたの望む未来につながるの?

まずは、疑問を持つことからはじめよう。

社会を変えるのは、一人のスーパーマンじゃない。
小さな疑問、小さな意見を口にしてみることから、世の中は変わっていく。問うことは当事者意識だから。

かなり私の解釈が入ってますが、以上が大まかなトークの内容でした!

コミュニケーションはトレーニングで鍛える

わかるけど、やるのは難しいよね。というのがほんとのところ。

対人スキル、コミュニケーション術はもとから備わっているもの、とか自然と身につけていくものととらえがちですよね。

でも、きっとそうじゃない。

世の中の流れに対応して社会がアップデートするには、こうしたスキルは読み書きそろばんのように一定の水準まで引き上げていくことが必要なんじゃないか。

トレーニングするものととらえて、大人は意識的に学んでいく必要があるし、将来的には学校の必修科目にしてしまうのもアリかもね。そんなふうに思いました。

ゆるいつながりを通じて、考えるきっかけをくれる干渉しすぎないご近所システム、HUC。これからの活動も楽しみです!!!

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