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誕生日に想う「歳を重ねること」

本日、無事に38回目の誕生日を迎えた Kaori です。この日を、家族みんなが健康に、平凡に、いつものように迎えることができ本当に嬉しく思います。とはいえ、朝、娘に、「今日は何の日が知っている?」と「おめでとう」の一言がないことに、ちくりと物申したのも、私ですw

いつからか明確ではありませんが、歳を重ねることが嫌でなくなりました。今日は、歳を重ねる事について、振り返りたいと思います。

自分の価値が若さだと思っていた時代

誕生日が一番嫌だったのは、16歳の頃。

あの頃は、16歳であること、10代であることに自分の価値があると感じていて、誕生日が来る度に私の価値がなくなっていくような嫌悪感でいっぱいでした。逃げ恥のゆりちゃんのセリフを当時の私に伝えてあげたい。

たいして女子高生らしい、女子高生をしていたわけではありませんが(女子高生らしい女子高生って何?w)制服が着られなくなると、もう、おばさんだと思っていました。恐ろしや。大学時代も17〜8歳の新入生が入る度に、何か自分よりも高い価値を持っている子たちが押し寄せてくるような、不思議な不安感があったような気もします。自分に、心底自信がなかったのだろうな、と思います。

歳を重ねることで価値が上がると思える時代

そんな私も、いつからか、歳を重ねることに全く嫌悪感がなくなりました。少なくとも、これは、社会人になってからだと思います。仕事をし、自分で自由にできるお金を手にし、誰からも文句を言われず、自分の好きに自己投資できる。キャリアアップでも、美容でも、旅でも、なんでも。「自分の意思で、自分の人生を設計できている」そんな感覚を持てたことが大きいと思いますし、投資をしているので、もちろんそのリターンもあり、前の年よりも、常に自分がアップデートされていく実感があります。今のところ、なぜか、昔の方が体力があったのに、、、と感じる出来事もないのが大きいからかもしれません。昔から徹夜も夜更かしも苦手な朝型人間なので、夜が弱くなった、、とも思わないのです。

だから、一つ歳をとること=その分、自分がアップデートされたと思える。そして、幸い、今日この日もそう思えるので、20歳の自分よりも38歳自分の方が好きだし、今の方が、30歳の頃よりも20歳の頃よりも自由に生きていると間違いなく言えます。(とはいえ、今タイピングしながら、20と38って、、、倍半分ねと、数字的な衝撃はありました。)

これからは...?

ただ、これから、もっともっと歳を重ねていくと、また歳を重ねることが怖くなる日がくるのかもしれません。そして、それはいつからだろうとぼんやりと想像したりもします。

89歳の母方の祖母と、毎月メールでやりとりをしているのですが、「昨日できたことが、今日はできなくなってしまうかもしれない」そんな不安があるとよく言っています。「だから、これが最後かも最後かもと思い、動かない体に鞭を打って、積極的に老人会のイベントに出かけている」と、「今月は、リンゴ狩りに、もみじ狩りに、カラオケに、、、」

いやいや、、、w。

おそらく、祖母は89歳の「今」を最大限に楽しんでいるのです。
長く歳を重ねることをポジティブに受け止めるヒントの一つは「今」との向き合い方にもあるのかもしれないですね。過去との比較ではなく「今」をどう過ごすか。あれができないではなく、今できる最大限は何か。年齢には、年齢に応じた時の楽しみ方があるのでしょう。

今から、そーんな少し遠い将来も想像しつつ、いろいろと視野を広げ、一つでも多くの面白い・楽しい・興味があるを作っておきたい。自分が心地よいと思える居場所をたくさん見つけておきたい、とも思います。

それでは、本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
38歳もますます自由に、パワフルに、笑顔満タンで過ごしていきたいなぁと思います。また、遊びに来てくださいね。それでは、良い午後をお過ごしください。

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