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幹は一つ枝は多く

令和2年4月29日水曜日PM5時

僕が今この文章を書き始めた時間だ。色々な感情をうまく文として表現できず時間をかけて僕が感じたことを書いて見ようと思う。文章として稚拙なことや伝わりづらい部分もあるかと思うがそこは大目に見て欲しい。それらを顧慮して読んでいただけたら有り難い。


今世界はかつてない不安で毎日が続いている。その不安の正体は様々だがその不安を起こした元凶は確かに存在している。

しかしそういった状況が全てにおいてマイナスかと言われると答えは決して完全なYESではない。それは僕だけでなくあるいは他の数多くの人も感じているのではないだろうか?今まで以上に考えさせられて多くの気付きもあった、今という状況はある意味ではマイナスということでもないということなんだと思う。

正解とは?間違いとは?何を持って正解とするのか?だからこそたくさんのことに気づき、当たり前の日常の大切さを今更ながら実感した。

かといって正しい答えは誰にもわからない。だからこそ自分自身の答えを正解になるよう導くことが唯一の答えなのかもしれない。それを叶えるためには今まで以上に強い信念で行動することが大前提だと思う。

ただ間違えてはいけないのは後戻りする勇気も必要だということ。

なぜならそうしないと間違い続けてしまうからだ。それは相場もそうだし人間関係や恋愛でも同じことが言える。自分が間違いだと早く気づき最小限に留めることが人生においての必勝法だということは皆さんも知っての通りだ。

そして今も世界はたくさんの悲劇に包まれている。それは間違いない事実であるが、勘違いしてはいけないのは今に始まったことではないということだ。ただ以前とは世界が変わり半ば強制的に僕らはそれに気づかなくてはいけないほどに表面化しただけである。そしてそれを過敏に感じすぎて必要以上にそれらを怖れているのもまぎれもないことだ。それが悪いとは言わないがそこに自分の確固とした意思があるのか?ということが大切な部分ではないのだろうか?

同時に僕たちは僕たちのできることを最大限行うことが同じく大切だとも感じている。それは自分の目の届く範囲かもしれないしそうじゃないかもしれない。でもその根幹には当たり前に恋人や家族や友人達と気兼ねなく普通の生活を送るということなのだと感じている。

少なくともそれが今回のことで僕の根幹の部分なのだと気づけた。

それは僕にとってこれからの人生をどう過ごすか?どうしていきたいか?を考えるいい機会だったともおもえる。

だからこそ僕らは【生きる】という選択をしているのだ。生きるということは僕自身手段だと考えている。なぜなら根幹が生きるという部分ではあまりも寂しく、本能で生き続けるというのはとても滑稽なのかもしれないと思うところがあるからだ。

意思を持たず生きながらただただ未来も見えず歩き続ける。まさにウォーキング・デッドということだ。

まずは意思を持とう

そして考えよう・考え続けよう

色々な情報に左右されないようにしよう

しっかり自分自身の考えで未来を想像しよう


この何ヶ月で感じたことはここから先は本当に自分自身のインスピレーションがとても大事であり、さらにそのインスピレーションを探求して追求して自分なりの【答え】を見つけるということが必要不可欠なのだということだった。

それは一人一人がクリエイターになるという事なのだ

僕の考える一番の元凶は

【そうさせられている】という事でありそこに気づけないということなのだ。

僕たちにはたくさんの選択肢が用意されてる。その選択肢を無駄にしているのも自分自身だということに気づかなくてはならない。与えられた選択は全て試すぐらいでちょうど良いのかもしれない。そこから大きく育つ可能性をピックアップして育たせまたそこからたくさんの選択肢を選んでの繰り返しなのだろう。途方もなく続く道のりだがそれがまた【生きる】ということに喜びや悲しみというエッセンスを加えてくれいるのは間違いない。

人は間違わない生き物ではないが間違い続ける生き物にはなりたくないなと心から思う。

この状況の早い収束を心から願います。それは本当に。あってよかったとは思わない。ただそれだけとは思いたくもない。

前のような世界に戻ることは決してないのだろうけど人はそれを糧に進化できると僕は信じている。僕は人間というものがとても好きだし愛おしさすら感じる。僕自身が人としても人間としてもまだまだ中途半端な生き物だがそれを自分でも理解した上で文章として今の思いを書き綴ろうと思った次第だ。

だからこそ愛する存在がたくさんいるこの世界を守れるのは自分自身の選択だということを僕は忘れないようにしたい。

最後に残るのはやはり【愛】なんだ

『何いってるんだ笑』五十嵐ってバカにする方もいるかもしれない。

いやいるだろう笑でもそれは最後まで読んでくれたってことだ。そんな人に僕が怒るわけがない。むしろ有難うと言いたいし最後まで読んでくれて感謝しかない。

それも僕の【愛】なのだから






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