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『僕だけがいない街』を見て

アニメを一気見する、いや、なにかに集中したこと自体が、かなり久々だったような気がする。
ふとU-NEXTのおすすめに出てきて、そういえばタイトルしか見たことがないなぁと思って見始めた本作だが、想像を遥かに超えるほどの名作であった。
あらすじはネット上にいくらでも転がっているし、今更焼き直したところで陳腐になるだけだから割愛するが、これはきっとSFの皮を被った、一歩踏み出せず漠然とした孤独に苛まれる我々へのエールなのだ。

日常の人間関係の中で、当たり障りなく「友達」を維持する、そのために一歩引いた立場に留まってしまうのは多くの人が陥りつつも、「そういうものだ」と半ば諦めているものではないだろうか。
本作主人公の悟も、その一人だ。29歳の彼が出版社に持ち込んだ漫画は、「踏み込みが足りない」として突っぱねられる。しかし、とある事件をきっかけに10歳の頃へと「リバイバル」(タイムリープ)することで、決意を持って行動へと一歩踏み出さざるを得なくなる。その姿は、当時憧れていた正義のヒーローの立場と重なるものだ。結果として、彼はその経験を通して、自分自身を信じること、そして一歩先に踏み出すことを学ぶ。
最終話、ヒーローのことを悟は思い出す。ヒーローは闘い始めたときは一人だった。しかし自分を信じて、周りを信じることで、いつのまにか「仲間」ができていた。そしてヒーローのように、自分自身が自分を信じ、周りを信じて一歩踏み出した結果得られた仲間は、僕(悟)だけがいない街の中で、確かに悟の仲間であり続けて、悟を生かし続けてくれていたのである。(ネタバレ回避のためにあえて遠回しな言い方をしている)

「リバイバル」(タイムリープ)は当然我々の生きる現実には起こり得ないものだけども、しかし明日から行動を変容させることはできる。「リバイバル」はきっと、我々が日常遭遇する「後悔」の比喩表現なのだ。(だからこそ、悟には「リバイバルはもう起こらなくなった」のである)
僕らが人から一歩引いた当たり障りのない態度で人と接し生き続ける限り、きっとリバイバル、後悔は何度だって起きるだろう。でも、本作のようにやり直しの機会は決して与えられることはない。だからこそ、学び、勇気を持って一歩踏み出していくしかないのだ。「人を信じたいという気持ちは、信じてほしいの裏返し」というセリフが本作には登場する。自分を信じられない人間が、一体誰に信じてもらえるだろうか。本当の仲間が欲しいと願うのならば、自分がまず信じることを始めなくてはならないのだ。
行動療法やメンタルヘルスの本には、「人は変えられないから自分自身を変えるしかない」とよく書いてある。もちろんそれはそのとおりなのだが、そう言われたとて簡単に行動を変容させられるほど人は器用ではない。(だからこそ人は苦労し、場合によっては心を病む)
その点において、本作は秀逸なSFとサスペンスという娯楽でありながらも、我々の日常の延長線上にある、極めて現実的なエールでもあるのだ。

有名な映画作品に『ショーシャンクの空に』という作品があるが、根底にあるテーマは本作と同じものではないかと感じる。
『ショーシャンクの空に』においては、「必死に生きるか、必死に死ぬか」という言葉と「I hope〜〜」という構文が重要な意味を果たすと考えているが、(どこか別の場所で感想をまとめたのだが忘れてしまった…)興味があったら是非両方の作品を見てほしい。


P.S.オープニングを全話飛ばさずに見られるアニメはおしなべて名作である…アジカンすき


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