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わたしが妊娠するまでの話。

はじめに断っておきます。これはただただ「妊娠やったー!」の話ではありません。
 わざわざ公開記事として書くことでもないのかもしれません。が、少しでも目に触れた方が何かを感じる機会になったら嬉しいな、と思うし、自分も読み返しやすいのでnoteに記しておくことにしました。約1年、不妊治療をしていたとき、治療を休んだとき、その後妊娠に至ったとき(治療によるものではなく、自然妊娠でした)、自分がどう感じていたかを残しておくための記事です。
 どこまでの治療をしたかは書いていません。わたしの所感のみです。(内容が知りたい方は直接聞いてもらえれば、答えられる範囲で答えます)不快になる方もいるかもしれませんが、どんなコメントがついてもいいやと覚悟して書いています。記事作成現在は妊娠7ヶ月です。

治療当時の状況

 通院を始めた時期は、20代後半、入籍1年ちょっとの頃。結婚式からは半年くらいでした。仕事はシフト制のフルタイム。
 月経不順ほどではないですが、もともとストレス過多になると月経が遅れたり、生理痛が重かったので、漢方を貰いに月1程度で婦人科には通っていました。そこは不妊治療専門クリニックではなかったけれど、治療もしてくれる病院。そろそろ子どもがほしいな、と思った頃に相談し、検査を始めました。
 このときの気持ちとしては「自分の体の婦人系に不安はあるけど、まあこのくらいの体の人は世の中そんなに少ないわけじゃないだろうし、検査してもらってきっと大丈夫って言われるだろう」みたいな感じ。ここからバタバタと治療に転がり込むなんて思ってもいませんでした。何を根拠に大丈夫と思ったのか、治療を始めるにあたっては浅はかだったなーと思います……。

物理的につらかったこと

 通院がとにかく大変でした。どの治療段階でも行うのが卵胞チェック。これが、今月はこの日とこの日!みたいに決められるわけではなく、まず月経何日後に来てと言われ、そこから先は自分の卵胞の育ち具合で通院予定が決まっていきます。卵胞次第で、また2日後、3日後と様々。しかも何回目の卵胞チェックで終わりになるかわかりません。自分の体(卵胞)次第なので。わたしは仕事がシフト制なので、言われた日に行けるかどうかも定かではなかったので、よりストレスでした。そしてとにかく待ち時間が長い。生活、仕事、通院の均衡を保つのがきつかったです。
 あと、治療をしていく上で結構な数の検査をします。採血、何回したかな……。検査結果を聞くのも毎回ドキドキでした。原因不明もしんどいけど、治療の難しい原因でも怖い。幸い、大きな病気などの原因は見つかりませんでした。
 通院に合わせ、仕事の調整も厳しかったです。職場から病院までの距離と、病院の受付終了時間を考えると、シフト制で行けない日もあれば時間給を取らないと間に合わない日も。治療内容によっては午前中のみだったり。職場の上司には治療をしていることは話していました。なので融通は聞かせてもらえましたが、自分の「申し訳ない」という気持ちは加算されていくばかりです。まあその人の性格にもよると思います。あとは自分の抱えている仕事をとにかく早めに済ませておく必要もありました。普段以上に仕事に気を張っていたと思います。
 そして服薬。ホルモン剤を月経周期に合わせて飲んでいましたが、今日から何日はこれ、次は何日から何日までこれ、と薬の種類も飲み方も違って、とにかく飲み忘れが怖い。飲み忘れる度に「〇〇 飲み忘れ」でググってました。その飲み忘れでここまで頑張ってきた周期を棒に振るのが怖かったです。
 あとまあこれは辛いというほどではありませんでしたが、もともと飲ん兵衛な私はアルコールを控えることがきつかった?です。でも今はノンアルコール飲料があるので、家で呑む分には十分でした。ただ面倒だったのは飲み会。いつもあほほど呑んでいた人間がなぜ呑まないかを説明することも出来ず。次第に足を運ぶことも減り、対人関係はだいぶ希薄になっていたと思います。そもそも呑まないと人とコミュニケーション取れない自分の性格をどうかと思うわ。

精神的につらかったこと

 この項目に関しては、まるで周りは悪くないことばかりで申し訳ないなと思います。でも、正直悪意のない言動が一番きつかった。
 「大丈夫だよ」「まだ若いんだから」「そんなに焦らなくてもいいんじゃない?」「〇〇の頃にはできてるよ!」「夫婦二人でもいいじゃん、違う楽しみ方もあるよ」。こういうコメントを返されることが本当に多かったし、辛かったです。誰でも彼でも治療をしていることを話していたわけではありません。言わなければならない相手と、この人なら、と自分が選んだ相手だけです。もちろん、私の気持ちを軽くするためにかけてくれていた言葉なんだろうと思います。しかし、先の見えない治療、治療の先に待っている人生、底知れぬ不安の中では、すべて呪いの言葉にすら聞こえました。また、20代での不妊治療。周りの同世代に経験者はいませんでしたし、上の世代や経産婦からも理解や共感は得られませんでした。共感してほしいわけでもなかったんですが、私もそれを予告して人に話していたわけではなかったので、反省だなと思います。
 そして、周りの妊娠出産報告・それを聞いたときの自分の心の動きについていけなくなりました。当たり前ですが、妊娠出産する人たちを悪いなんて思ってません。ただ、SNSの時代なので、何を見ても子どもの写真、妊娠報告や経過の話からは逃れられませんでした。周りが妊娠していくことに、いちいち大きく傷ついていました。自分がどんどん暗い人間になっていくのが本当に辛かったです。楽観的な人間だったら、こうはならないのかも。
 あとは毎月の挫折感に金銭的不安。アホほど妊娠検査薬使ったと思います。諦めきれず1周期で2回使ったりもしてました。今周期もだめだった、という挫折感を約月1のペースで感じる辛さ。それを夫に報告する時の悲しさ。次の周期の病院予約をする虚しさ。ただでさえ気分の落ちる月経期にそれをこなさなければならないのがきつい。治療費は、1回の受診で最低1,500〜3,000円位かかっていたと思います。(病院にもよるし、その日の受診内容にもよります)治療が進めばかかる金額も大きくなります。あといくらあれば足りるのか、いくら払っても上手くいくかは保証されないのに、という金銭的負担感・不安感も受診のたびに感じていました。

失敗だったと思うこと

 妊活をすっ飛ばしての治療開始は、本当によくなかったなと思います。冒頭にも書きましたが、”たまたま”婦人科にかかっていたので、”なんとなく”相談したことで始まった不妊治療でした。いきなり治療から始まった妊活だったため、夫婦で子作りを楽しむという時間がなかったことは、本当に夫に申し訳ないことをしたと思っています。通院のない妊活の結果、上手くいかず結局治療はしていたかもしれないし、どちらが正解というものはないと思いますが。この段階では、始まってしまったら止めることは難しいのが私の中での不妊治療でした。
 心持ちの部分では、基本、情報から入る人間なので、婦人科に相談すればどんな検査や治療が始まるのかは理解していました。ただ、情報は情報。実際に治療を受けて自分が感じることとは落差が激しかったです。血は抜かれるし、注射はアホほど打たれるし。また、ネットの情報と医師の話にも差異がある。自分が何を信じられるか、そこをブレずに続けられるかも大きかったと思います。
 夫との共有も難しかったです。基本、通院するのは私だけ。夫はとても協力的でしたが(本当にこんな簡単に言い表しては申し訳ないくらい)、やっぱり”実感”と”情報”は別物なんですよね。初めて通院に付き合ってもらった時は、本当に大変なんだね……と自分も大変なくせに労ってくれました。でも妊活ってそういうものじゃないから……本当にごめん……。 

経験できてよかったと思えること

 ただ、治療をしてみて、こういう痛みがあると知れたことは良かったなと思っています。もし自分が治療せず自然妊娠していたら、自分が受けてきた言葉を同じように人にかけていたんだろうと思うし、これまで悪意なく人を傷つけてきたことがたくさんあったんだろうなあと反省もしました。相手が話してくれる事実や言葉の裏に何があるかを慮って、人と接していこうと思えるいいきっかけになりました。
 結婚生活の早い段階で、夫と苦労や辛さを共有できたことも良かったというか、悪くないことだったと思います。前述したように感じていることは全く同じではありませんでしたが、話しながら悩みながら今まで一緒にやってこれたかなと思います。治療をしていなかったら、結婚2年目にここまでの辛い気持ちを共有できる機会はそうそうなかったかもしれません、私たちの場合。そこを歩んできたからこその今かな、と思ってます。
 私は治療に臨んでいる間、本当にいろんな人に支えてもらいました。経験者や同時期に治療している人が近くにいたことで、話を聞いたり聞いてもらえたり(どちらも年齢は私より上の方たち)。自分の両親には治療していることを話していたので、特に母は捌け口になってくれ、支えてもらいました。自分のことを否定する人がいないことは、本当にありがたいことだったと思います。人との関わり方や、この先の関係を見直す機会になりました。

妊娠に至るまで

 ある時期に、私の仕事が忙しくなるという口実のもと、治療を休むことにしました。もうメンタル持たないわ〜状態だったのも確かです。私の様子から、夫も休むことにちょっと安心していました。私は、休むことにも膨大な不安があったし、いつ再開するのか、再開したとしてその後いつまで続けていくのか、休んでいる間も精神的負担はそれなりにありました。治療時に使用していたホルモン剤の影響だったのか、その他のストレスだったのか、PMSが酷くなって結局別の通院をしていたりもしました。でもまあ、なるべく治療しなくていいと決めた夫婦の時間を大切にしていこう、と決めつつ、治療再開のために退職を考えていたところで、妊娠が判明。退職する必要も治療に戻ることもなくなり、今に至ります。

 私の経験則はここまでです。

 もし、周りに治療をしている人がいて、相談されるようなことがあったら、ちょっとこの話を思い出してもらえると嬉しいなと思います。サラッと書いてますが、その相手はこの文面の100倍は辛い思いをリアルタイムで感じていると思ってください。子どもを持つかどうか選択できる時代に、持つことを希望した上で、持てないかもしれないという思いを日々抱えながら過ごすこと。その先の人生の目的、指標の定め方を見失うこと。自分に置き換えることや同調することは難しいと思いますが、その辛さに寄り添うだけで相談した人はありがたいと思えるかもしれません。個人的には「大丈夫だよ」よりも「辛いよね」って言ってもらえた方が嬉しかった。
 結果わたしは妊娠しているので、その先の辛さには向き合えていません。今後、治療で苦しい思いをしている人が傍にいたら、相手が求めてきたときにどう寄り添っていけるかはやっぱり課題です。命は操作出来るものではないので、気軽な言葉かけをしないように気をつけていきたいと思います。
 長々とまとまりのない文章を読んで頂きありがとうございました!

#不妊治療 #妊活 #妊娠 #妊婦

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