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育児とジェンダー、セクシュアリティ観

1年と少し前、体の性が男性の子を出産した。でも、この子のジェンダー・アイデンティティ(性自認)やセクシュアリティ(性的指向)が男性なのかどうかは、親のわたしにはまだ分からない。本人もまだわかっていないと思うけど。これまで、またこの先、この子と向き合っていく中で考えるわたしなりの”親としてのジェンダー、セクシュアリティ観”についてまとめてみた。便宜上、本文内での我が子のことは”息子”と記します。

また、今回記事を書く上でまず読ませていただいたのがこちら。
「#自分の性は自分が決める」 − パレットーク11月のテーマに込めた意味
自分の性についても改めて考えられたので、それはまた後日記事にする(かも)。面白いからみんなもプロフィールシートやってみて!パレットークさんの記事はいつも読ませて頂いてます。

産後、息子の性について感じた違和感

息子本人の表現に違和感を感じたわけではなく、社会のなかに感じた違和感。
まず、服を買うとき。男児物、女児物がぱっきり分かれているものばかりで困った。息子がどんな服を着たいのかわからないけど、とりあえず男の子物を着せる選択をせざるを得ないことがあまりにも多い。幅広い色を着せたくても、ピンクや赤は男児物には少ないし、じゃあ女児物でもいいからと思うと高確率でフリフリしているか柄がリボンやハート、キラキラしたものがついてるやつ(スパンコール系は安全面でも子供服向けじゃないと思うんだが)。もっと中性的な服が子供服に増えたらいいな、と買い物のたびに思う。
また、遊びの話。会話のなかで「(今は)車が好き」と話すと「男の子だね〜」と言われたり、「息子にままごとキッチンが欲しい」と言うと「男の子なのに?」と言われたりする。遊びに性差は必要なのかな、と、もやり。女の子だって車が好きでいいと思うし、男の子だってままごとをしてもいいと思う。大人たちのジェンダー観で、息子の経験の幅を狭めないようにしたい。
これらのことで、人は生まれたときから、男や女という性を押し付けられているという事実に改めて気付かされた。

名付けのときに意識したこと

先に子を持った友人の影響もあるけれど、”男でも女でも通用する名前”であることを前提に考えた。もしもこの子がトランスジェンダーだったら?男としか思えない名前を持っていたら、それによって傷つくことがあるのでは?と。どちらにせよ、男として生きてきた名前を本人が”捨てたい”と言ったなら、それはそれでいいと思うが(寂しいけど)、”捨てなければならない名前”でないようにしたいと思った。もちろん、シスジェンダー*でも困らない名前に。いつか名前の由来を聞かれたときには、堂々と伝えたい。
*シスジェンダー=体と心の性が一致している人のこと

子の存在をただ尊重できる親でありたい

とはいえ、極端に中性として扱うことも難しいので、節句はこどもの日に行うし、性別を書く欄には男と記している(戸籍上、今は男なのだからそれはそう)。今できることは、”必要以上に男を押し付けないこと”と、”息子がどういうジェンダー・アイデンティティでもセクシュアリティでも、受け止めて尊重するよ”という姿勢を大切にして伝え続けることかな、と。なんか上から目線の表現になってしまったけれど。
親と子は、血が半分つながっていたとしても、別の存在。お互いの人権を侵害してはいけないと思う。でも、親であるからには、困ったときに頼れる相手でありたい。多様性が認められる時代にはなってきたけれど、マイノリティの方にはまだまだ生きづらいところがある社会だと思う。そんな時に、”困っているけど親には言えない”状況にはなってほしくない。”自分の親には受け入れてもらえる”と思って生きていてほしい。息子がマジョリティでも、それは変わらないけれど。
時期が来たときには、いろんなジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティを持っている人がいることもきちんと伝えたいし、自分の性と向き合うときには一緒に考えていけることも伝えたい。そして、将来いろんな人と接する中で、自分と違うものを持っている人に出会ったときに、迷いなく尊重できる人になっていてくれたら嬉しい。

おわりに

わたしがこういうことを考えるのは、そういう時代に子を産んだから、というくらいの理由でしかない。そもそも自分自身も勉強不足だし、身近にLGBTQ+の方もいないので、現実に起きている問題はあまり見えていないだろう。きっかけを逃さず、いろんな世界を勉強していけたらなと思う。

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