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「感電」のサビから読み解く。 『MIU404』は 窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった人々の魂を癒す物語。


今回は文章短めです。

『MIU404』の主題歌。
米津玄師の「感電」の、物語終盤で流れてくる
印象的なサビの部分。

「たった一瞬の このきらめきを 食べ尽くそう二人でくたばるまで」

物語がクライマックスに差し掛かかりると
絶妙なタイミングでこの歌詞が流れてきて、
胸が苦しくなるような感動が押し寄せてくる。

初見の時は「絶妙なタイミング〜(泣)」としか感じない。
けれども実際は視聴者の脳内で勝手に流れるわけではなく
作っている方は狙ってそのタイミングに音を入れているんですよね。

じゃあ、ドラマ内「たった一瞬の このきらめきを」が掛かるのは
どのシーンなのかと各話ピックアップしてみました。

「#01激突」
 千砂ちゃんがおばあちゃんに謝り、おばあちゃんが許して仲良く歩く

「#02 切なる願い」
 田辺の「ごめんね」の言葉が加々見の耳に届く

「#03 分岐点」
 犯罪に巻き込んでしまった勝俣が真木カホリに謝り、
 真木カホリは胸を拳でど突くのみでハグしあう。

「#04 ミリオンダラー・ガール」
 一億の目を持つウサギのぬいぐるみを乗せた貨物トラックが通り過ぎる。

「#05 夢の島」昨日放映されたこの回については後述します。


各話の「たった一瞬シーン」を並べてみた時に気づいたこと。

それは、1話目のおばあちゃんと千砂ちゃんのエピソードの役割でした。
正直なところ、
「おばあちゃんと千砂ちゃん話は最後に持ってくるほど重要か?」と
最初は思ってたんです。

だって、煽り運転や殺人未遂の事件の方が事件が大きいから。
その件は片付いたのにこのあと、こんな小さなエピソード持ってくるの?と。
そう考えてしまった自分の人間性がクソなだけでした…。
物的損害の大小で物事の重要性を決めようとするとは。

でも、伊吹にとっての重要なことは事件の大小じゃないから
最後に持ってきたんですよね。

千砂ちゃんという幼い子供にとって
おばあちゃんを困らせてしまったことは大きな罪悪感を抱える出来事だった。
おばあちゃんに許しを請い、許されて、千砂ちゃんは癒された。

「自分は罪を犯した」と思った人間が癒された瞬間。

その瞬間を共有する志摩と伊吹の物語なのでは?

「感電」の歌詞は「たった一瞬の このきらめきを」の次にこう続きます。

「食べ尽くそう二人でくたばるまで」

うわ…!ヤバい!ゾクゾクする!

1話の型を土台に2話目以降は犯罪を犯してしまった人間の
犯罪に至るまでの苦しみが克明に描かれる。

「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった」人間が癒された瞬間。
それの瞬間を共有する志摩と伊吹

この型にあてはまるかどうか2話目以降の該当部分をピックアップします。


・「#02 切なる願い」
「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった」加々見
  毒親の影響から逃れられなかった 
「癒された瞬間」
  疑似親子のような関係になった田辺の「ごめんね」の言葉

・「#03 分岐点」
「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった」陸上部の子たち
  大人の保身で情熱のやり場を奪われた
「癒された瞬間」
  真木カホリは胸を拳でど突くのみでハグしあう 
  (許してなかったらハグはしないと思う)
3話の事件はまだ続いているし、分岐点で別れた成川はまだ。

・「#04 ミリオンダラー・ガール」
「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった」青池透子
  ヤクザと関わり貧困 大きな力に翻弄されるだけの女
「癒された瞬間」
  ヤクザを出し抜き、自分と同じような境遇の弱い少女を助けるための
  巨額の貨物を積んだトラックが自分の目の前を通過した瞬間
  最後の賭けに勝ったと、自分にも力があったと感じた。


4話まで見てそれでも
「窮地に追い込まれ、罪を犯さざるを得なかった人々の魂を癒す物語」
とか、オタク特有の深読みかな?思ってました。

でも昨日放送された「#05 夢の島」。
志摩がはっきりと言ってましたね。
「水森は 少しはラクになったのかな?」

「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった」水森
 借金があり、違法な監理団体と関わりがあった
「癒された瞬間」
 「始めからこういう人間」ではなかった水森は良心の呵責に耐えられず
 本当は好きだったマイのために自ら派手に犯人だと名乗り出て
 違法な監理団体と刺し違えた。
 共犯と疑われていたマイを守り、見ないふりして自分が送り出してきた
 外国人労働者への罪滅ぼしをした


犯罪を犯してしまった人間への法的な刑罰自体が消えることはない。
加々見は逮捕されたし、陸上部の子供たちも家裁に送られた。
青池ににいたっては命を落とした。

でも「罪を犯すに至った苦しみの根っこ」のようなものを
取り除いて癒すくらいのファンタジーはあってもいいのでは。

『MIU404』はそういうストーリーなのではないか。

そして「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった人」
志摩のことも指すのではないのか。
その、魂を癒すのは伊吹ではないのか。

すっごい…。すごい話なんですが…。
クラクラしてきた。


ここからは蛇足です。

自分は、謎が解けた!とドヤりたくて分析してるわけじゃないんです。
noteの一番最初の記事にも書いたように

「自分も一応、物語を創るも仕事のはしくれ。
この、心揺さぶってくるドラマがどうやって作られているのか
少しでも分析して自分の糧にできたら」

そういううきっかけで
『MIU404』の感想を片っぱしから言語化していこうと思って始めた。


「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった人々の魂を癒す物語」なんて
このまま素材ドーンとやろうと思ったら地上波ドラマでやらせてもらえるわけがない。
あまりにも暗いし重いし、犯罪者を救うなんてけしからん。
被害者感情はどうなる?そういう意見も出てきそうだ。
まさに5話に出てきたテレビマンとナウチューバーRECのやりとりにあったように

「テレビはお茶の間が喜ぶ番組作るのが仕事」

一視聴者としてみればそれはそうだろう。
みんなそれぞれ自分の人生を生きている。
疲れて帰ってきて、テレビの内容でさらに疲れさせられる必要がない。
チャンネルは変えちゃう。

でもその「窮地に追い込まれ罪を犯さざるを得なかった人々の魂を癒す物語」は
絶対諦めないこのドラマがすごい。
「この飲み込み難い物語を極上のエンターテイメントにしてやんよ!」という
胆力がすごい。

「自分が描きたいものを諦めて、求められてるものを描くか」問題というのは
商業創作してる人間には誰もがぶち当たる問題だと思う。

どっちも諦めないパワーは
「真のやりたいこと」と「絶対に届けたい」が完全に合致した時にしか
生まれないんだろうと思う。

その「真のやりたいこと」にたどり着くまでが本当は辛い。
自分と向き合う作業だし、
そうすると嫌な自分、醜く、惨めな部分を見なくちゃならないから。

「見ない方がラクだ」
「見てしまったら自分が思ってる自分がわずかにズレる」
「そのズレに気づいて逃げるか、また目をつぶるか」

志摩の言葉に当てはめるならばこんな感じ。

恐々と、自分の中に手をつっこんで
当たり障りのよさそうなところから
「これテーマかな」と掬ってきて描くからぼんやりするし
届けたい気持ちも強くならないんだよね。

剥き出しのまま生きる伊吹が眩しい。
『MIU404』始まってからずっと揺すぶられてる。

#MIU404

#テレビドラマ

#米津玄師


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