HAGEPHONIA Ⅱ ハゲフォニアⅡ(フィクション)

 私が「ハゲフォニア(Hagephonia)」という言葉を初めて聞いたのは、2015年。もう5年も前のことだ。
 ちょうど某男性誌に記事を書かせていただけるようになったばかりの頃だ。女性目線の記事が欲しいということで、入社1年目の私にとっては大抜擢だった。

 もちろんこの言葉は、風刺小説家の諸井彰子(むろいあきこ)先生の作品『月の実(つきのさね)』に登場した造語である。
 作品内では「大人になり切れない男性」を揶揄して使われていた。「ピーターパンシンドローム」と同意語のような扱いであったと私は記憶している。

 初版が発行されたのが2007年の11月。2015年に作品が映画化されたことにより、若者の間でこの言葉が流行した。
 その際に、意味が一部湾曲して伝わり「歳を取っても頭髪が薄くならない男性」を指して呼ぶようになった。

 しかし、この時、世間ではまだ、この言葉に、今のような一部差別的と思えるような意味はなかった。
 逆に、ダンディな男性を好意的にイジル程度の使われ方をしていた。

 「ハゲ」と「ハゲフォニア」の社会的地位(地位と呼ぶには語弊があるかもしれないが)が逆転したのは、2018年頃ではなかったかと思う。
 少なくとも2019年には、すでにその地位の変化は社会的な認識となっていた。


 「ハゲフォニア」と聞くたびに、私は思い出す場面がある。

 あれは、2015年の3月のことだった。まだ『月の実』の映画が公開される前のことだ。
 私は、某国民的男性アイドルグループのメンバー、Tさんのインタビューをさせていただいた。
 Tさんが43歳、私は23歳。相手は国民的アイドルだ。年齢だけが理由ではないが酷く緊張したことを覚えている。


「髪の毛のことですね」

 質問を躊躇している私に、彼は少年のような笑顔を見せ、はにかみながらそう言った。

「ぼくも、すごく迷ったんですが・・・。先輩のK君の映画が背中を押してくれましてね」

 Kさんの映画は、スタイリッシュなアクション時代劇だった。殺陣や、CG、大量の火薬を使った、ハリウッドさながらのアクションシーンが話題となっていた。

「観ましたか?あの映画でK君が偉い武将の役をやっていて、すごくカッコイイ、いい役だったんですよね。男らしくて・・・。その彼がスキンヘッドだったでしょ?映画の中で。実際はフサフサなんだけどね。
あぁ、髪の毛がなくてもこんなにかっこいいんだな。って思ったら、そこから、ぼくは何をやってるのかなって。男の本当のかっこよさってなんだろうなって。それで思い切って」

 彼は、被っていたボアバケットハット脱いで、きれいに剃り上げた頭を見せた。

「帽子も被るの嫌だったんですよ。昔は。髪型が崩れるのが嫌だった。ぺちゃんこになったらかっこ悪いなって、いつも気にしてた。それが今は・・・。なんだろうな。迷いがない」

 彼が植毛を告白したのを聞いたときは衝撃だった。「えっ、あのT君が!?」と、しばらく友人たちとは、その話題で持ちきりだった。なんだかT君の価値が下がったようで嫌だった。騙されていたような、そんな気さえした。
 画面越しに見たスキンヘッドの彼も受け入れ難かった。

 それが、数週間後、こんな形でインタビューすることになるとは。
 私は内心、この仕事を受けなければ良かったと後悔していた。
 せめて、できることなら髪の毛の話題には触れたくないと考えていた。
 しかし、当然のことながら、これだけタイムリーな話題を外すことはできない。上司との打ち合わせでも、髪についての質問項目はかなりのウエイトを占めていて、避けては通れない話題だった。
 国民的アイドルのTさんに、会いたいけど会いたくない。憂鬱な課題を抱えてのインタビューだった。

そう、この瞬間までは。

 的確な表現が難しいが、「あれっ?」という表現が一番近いかもしれない。なにか、ふわっとした発見に似た感覚だった。

「ぼく、今、43なんですよね。職業がアイドルで。43でアイドルって。まぁ。役者とか、デザインとか、いろんな仕事もさせていただいてますけど。なんだか、アイドルの自分は、自分で作り上げた自分じゃないような気がして、違和感を感じていたんですよね。歳を重ねるごとにそれが増していく感じで。
 20代の頃は全然問題なかったんですよ。女性ファンからキャーキャー言われるのは嫌いじゃなかったし。でも、やっぱり、人間は歳を取るよね。まあ、ぼくの場合、分かりやすいのは髪の毛だったんだけど。
 AGAって聞いたことある?『男性型脱毛症』のことなんだけど。『症』って付くから病気だなんて言われるけど、まぁ、CMでもそうやって言ってるしね。だけど、これ、遺伝的要素も多いんだってさ。
 あまりに若いうちに禿げたら、そりゃ気になるだろうし、薬で悩みがなくなって元気に生きられるなら、それはそれでアリだと思うんだよ。ぼくも実際飲んでいたわけだし。それ以上に植毛もしたしね。
 ただ、やっぱり、男性型脱毛は病気じゃないと、ぼくは、思うんだ。いろいろ悩んで調べているうちに、そう思うようになった。
 遺伝なら、恥ずかしがったり隠したりすることじゃないんじゃないかってね。
 例えば、自分の『肌の色』『目の色』を恥ずかしく思うことと同じじゃないかって。自分を愛せていない感じがするよね。
 ぼくは、歳を取ると髪の毛がなくなる遺伝子を持って生まれている。これは病気ではなく、男性ホルモンがそういう作用をする体が、ぼくの体だってこと。ただそれだけ。
 人間は年をとる。いつまでも若々しく変わらずにいたいという気持ちも分かるけど、無理して自分じゃないものになるのは違うような気がする。『アンチエイジング』という言葉があるけど。いつまでも少年でいるわけにはいかないよね。せっかく歳を重ねるんだから、『アンチ』じゃなくて、『ベターエイジング』とかなんかそんな。『クールエイジング』とか、なんかそんな生き方をしたい。
 髪の毛がなくなることで、ファンをがっかりさせたりするのかなって懸念もあったけど、それなら、歳を重ねる意味がないと思う。
 昔の輝きが消えないように努力するんじゃなくて、ぼくは「今」輝いていなきゃいけないんじゃないかなって、思ったんだ。ちょっと照れるほど、まじめな話だけど。
 ただ、その輝きは、若さではない。もう40代だからね。
 ぼくは正直、20代の時よりも輝いている自信があるんだ。今はね」


 少年のように話す彼をみて「青春」とは、彼のような状態ではないかと、その時唐突に思った。

 誤解を恐れずに、あえて言おう「HAGE」がかっこ良いと、私が初めて思った瞬間はその時だった。
 Tさんはかっこよかった。画面で見ていたときよりもずっと輝いて見えた。

そう、「HAGE」の地位が向上したのは、Tさんの影響だと私は確信している。


何しろ、あの日から、私はTさんの大ファンだ。


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